今日の出会いはとても良いものだった。
主治医の先生が合わなくなった感じがして、別の先生に診てもらった。
人見知りっぽい第一印象とは異なり、話し出したら丁寧に話を聴いてくれる先生だった。
傾聴を学んだことがある雰囲気があった。
寝過ぎてしまったり、予定通りにやれない自分が情けなく感じたり、理想と現実のギャップに悩まされる日々
そんな日常を掻い摘んで話してみると、先生の口からこんな言葉が。
「あなたは知りすぎてしまっている」
「これだけ質問に対して理路整然と、しかも的を得た答えを返して来る方は、今日診た中で一番」
「知識があるから、俯瞰的にものを見て悩んでしまう」
「心を扱う仕事は自分を苦しめる。哲学者はみな苦しい人生を送って来た」
これらの言葉は、なぜだか私にはとても心地良くて自然に納得出来るものだった。
先生が投げかけて来る問いも、言葉も
なるほど何かが先生の口を借りて私に言わせているのかな、と思うようなものだった。
実際の症状の対処については
「精神的な面ではなく、まず身体がどれくらい寝たら回復するかを知ってみて」
「僕も9時間くらい寝ないと回復しない」
「何時に寝るかということより、寝た後の身体の調子を把握してみて」
「“削ぎ落とす”ことを意識して。必要ないことはやらないと決めて、自分の心が居心地よく喜ぶことに時間とお金を使って」
「優先順位を決めていくと意識して緊張して、理想と現実の乖離に対して葛藤が大きくなるから、とにかく削ぎ落としていって」
とアドバイスをもらった。
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電車での帰り道、診察を思い返して
“ 知りすぎてしまった “という中二感のあるフレーズに「ちょっとかっこいいな」なんてクスッとしながら
そうか、私は色んなことを知ってしまって、だから葛藤するんだと理解した。
知ることは時に身を滅ぼすんだな、と思った。
それに飲み込まれるくらいなら、いらないものは削ぎ落として軽くなって
感覚的に日々を過ごしてもいいのかな、と思ったりした。
そんな一日。