慢心なんじゃないか?

被害妄想なんじゃないか?

おまえ極端すぎないか?




そんな風に言われました。




一つのことが出来たからって他も何でも出来る!すごい!とはならないんじゃないか?

そんなに人の気持ちが分かるって言うならお父さんの気持ちももう少し分かってくれていいんじゃないか?




そう言っていました。






辛い、苦しい、その言葉で具合が悪くなる

寝込んでしまう

昔の怒鳴られたことや責められたことがトラウマになってる

うつのことをもっと知って欲しい

言い方を変えて欲しい

お金はもういらない、私とのコミュニケーションのことを考えて欲しい





通じませんでした。

色々提案して頼んでみましたが、

分からないのか向き合いたくないのか

私と話すのをなるべくやめる、以外の方法はないようでした。





父についてはたくさんどの発達障害に該当するかと色々と調べて来ましたが

「尊大型アスペルガー」

がもっとも近い、ということが自分の中での結論でした。





重大なことなんだというのが少しでも伝わるとよいなと思い、思い切って

命に関わるんだよ、死んじゃったらどうするの!

と涙ながらに訴えてみましたが

かなしいことに、通じませんでした。





この数年の間に軟化した父の態度に

もしかしたら今ならもっと聞いてもらえるんじゃないか

私の辛さが伝わるんじゃないかと

心の奥底では少しの希望を見出していましたが

とうとう、諦めなければいけない時が来たのかもな、と感じています。







去年の初め、色々と協力して頑張って

ついに実力を認めてもらえたなととても嬉しかった。

これで私の話をまともに聞いてもらえるようになると思い

実際見る目は少し変わったなと思っていました。




でも、あんまり

そこで頑張ったことは関係なかったようでした。

単純に老いて疲れて仕事を手放し

少し肩の力が抜けたことによるものなのかなと。






薄っぺらい、浅い同情に深い失望を感じました。

かわいそう、というような声を出しておきながら

その直後に放つ言葉は

どう考えても発達に問題がなければ辻褄が合わない、ひどく私を傷つけるものばかりで

ああ、もう一歩、私は離れないといけないんだなと

そのことを本当にかなしく思いました。






こんなに人に寄り添えると周りから言ってもらえる

何はなくとも、その部分に関しては胸を張れる

その部分を

父には見ることがきっと永遠に叶わないのです。







いくら私が病気と言っても譲歩してもらえない。


そういえば昔も、仲良くなりたい時は挨拶をする、以外の答えを持っていなかった。

それが出来なければ無理だ、と言っていた。


感情と行動を結びつけて捉える回路が無い以上、もうどうすることも出来ないのです。





調べることは出来るでしょう、でもやらない。

それはきっと自責を感じてはいなくて

私の状況を歪んだ目で見ていて

面倒だったり

調べた結果自分が否定されて傷つくのを拒否しているからなんだろうと思います。

防衛機制が働いているのでしょう。






とにかくこの事実がかなしい。

詰んだな、というか。


あ、本当にお金をもらうためだけの人になってしまうんだな。

後は私の父という存在に求める愛情を、

ごっこ遊びのように形式だけで叶えるための人。

そういう存在になるんだな、と。





母に申し訳なく、

また母と一緒に楽しく過ごすためにも

微妙な距離を保っていた部分がありますが

離すところをきちんと離さなければ

幸せな時間を持つことが出来ない。




これまで持てていた、実家でのささやかな時間のためにも

うまく離れてしまわないといけないのです。



とても身につまされるけど、

周りの状況は正直、大して変わってはいないのだから

回復しながら少しずつ、また距離を取って

適切な位置で、付き合わないとと思いました。





本当にかなしいけど。