ソロバンや三味線や習字の様な古典的お稽古事は
長年せっせとマジメに習っていれば
三味線の名手やら
ソロバン暗算(頭の中で算盤をはじく)日本一やら
大書道家になれなくとも
近所の子に教えられる程度の
「使いものになれるレベル」には
なんとか到達できるのに
なぜ、英語は、長年せっせとやっても
「使いもにならない」学習者が決して少なくないのでしょうか?

その理由の一つには
日本語話者に適した英語教授法が
算盤や三味線や書道の教授方法ほど確立されていない
ということも多少はあるのでございましょう。

けれども、手前が、かなり大きいのでは、と
考えている理由は
英語という言語自身が
「辺境のコトバ」だということでございます。

英語は、今でこそ
英国米国の世界的な躍進と台頭によって
「世界の共通語」として猛威をふるっておりますが
もともとは
欧州大陸の横のはずれの島に集積した
吹きだまりの言語なのです。

もちろん、ふきだまった言語だから
質が悪いというわけでは決してありませんし
日本語も英語とは状況が、かなり異なるものの
一種の吹きだまり言語ともいえましょう。

ただ、吹きだまり言語というものは
既存のものを、そのまま取り上げるだけで
要領良く最新の知識を手に入れられるので
「元祖」である高度な文語言語が
長年にわたって意図的に創り築き上げてきた
熟練に其処付けされた技術に書け
根本原理の理解を怠るという傾向がある様に感じます。

たとえば
英語のスペリングが
「規則」とは呼べないような「例外」だらけで
子供のみならず大人でも
完璧に習得するのが困難なのは、
ラテン文字が、そもそも、
英語を書き表す為に作られた文字では無いからです。

また、英語に残ったギリシャ語やラテン語や
その他、大陸欧州言語の語彙は、
もともとの言語では、日本語の仮名の様に
「文字=発音」であったものの
英国に住み着くうちに、文字は,ほぼ,そのままで
音は英国人の「好みにあった」
或は英国人に「発音が可能な」音に
どんどん変化してしまい
最終的に、文字は発音の「大まかな目安」で
文字と発音関係は,長時間,習い慣れるしかないという状態が
できあがったわけでございます。

そして、英国人自身も
「こんなことしてると数百年後の俺らの子孫が
 母国語も書けない読めない状況になってヤバいんじゃね?」
と思う事も、おそらく無く、
(他国との交流が必要な学者達は
 18正規あたりまでラテン語で論文を書くのが
 当然だったので、英語に構っていなかった?)
結局、吹きだまったまま
あるものを活用し修繕し(英国人の得意な美徳)
また、新たな知識を得たい時は
外国から取入れればいじゃん
という事を繰り返していたのではないでしょうか。

よって
規則や秩序は皆無では無いものの、
確固としたものではなく
あくまでも「慣例」に従うという言語に
英語は、なってしまったのでしょう。

ですから、外国人が学習しにくいのは当然です。

それでも
英語に恩恵をもたらした言語を母語とする人は
その言語で文語力さえあれば
英語を読む分には苦労はしません。

されど、英語やら英語の母体となった言語やらとは
全く縁もゆかりも無い言語を母語とする人々にとっては
字を見ただけじゃぁ意味がわからないだけでなく
発音もわからない英語の学習ほど難しいものは無いのです。

英国語を母語とする子供達が
莫大な時間をかけて慣れ
さらに莫大な時間をかけて習うものを
その子供の1/10にも満たない時間で
慣れるための「お手本」も無い状況で
学ぼうとしても、そうそう追いつくもんじゃぁありません。

もっとも、だからといって
ネイティブの講師であれば良いとか
ネイティブを会話相手にする(不謹慎な!)
など、お手本があれば少しは学習状況が改善されるなどと
いうものでは決してございません。

重要なのは、自分にあった学習方法を見つけることです。

学習方法は、大まかに
「視覚型」「聴覚型」「触覚型(キネティック)」に
分かれ
この3種のうちの、どれか1種が
他の2種よりも優れているという事が多いのだそうです。

手前が、以前、おすすめした独学学習法は
聴覚型でございます。
つまり、これは、私の様な聴覚型学習者には
有効的な学習方法ですが
視覚型/触覚型学習者には、それほど有効ではなく
継続が困難な飽きやすい学習方法であるかもしれません。
(えらそーにおすすめしといて、すいません。)

ただ、言語は、文語だけでは成り立たないのですから
聴覚の関門は、くぐり抜けなくてはなりません。
そこで、自分が飽きないような
学習方法の組み合わせを考え試行錯誤しながら
編み出す必要があるでしょう。
つまり
漫然と習っているだけでは進歩しないという事です。
積極的に攻めなければ前進しないのです。
英語学習に苦手感のある方は
まず、今までの学習方法を省みて
どこが自分に適していなかったのか
自分の学習方法タイプは何なのか探るのが早道ではないでしょうか?

そのうえで、たっぷり、その言語にひたる必要があるのですが
この「たっぷり」は、子供時代に始めたからといって
量が減るわけでは、ございません。

近年、日本では、
英語が苦手で苦労したため
子供と同じ苦労をさせたくないと
早期英語教育に執心する親が激増している印象ですが
早く始めても遅く始めても
苦労/必要な努力は同じなのです。

むしろ、子供時代のほうが
苦労が大きいし努力も必要なのですが
単に、その苦労や努力が
大人には見えにくかったりするだけです。

英語が苦手な親御さんは
子供に早期英語教育をと焦る前に
まず、自分自身の英語学習を振り返り
そして、英語を学習してみると良いと思います。

その上で、子供の早期学習を始めても
決して遅くはありません。


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(以前書いたブログの表記とフォントを編集したものでございます。)