昨日、英国は、戦没者追悼記念の日曜日(Remembrance Sunday
そして今日は
ベルリンの壁崩壊20周年。

11月の寒い朝。
この頃になると急に寒くなりますよ....

この二つに関してブログを書きたいなんぞ思って
動画も探して、
昔、東ベルリンに行った時のパスポートやら
DDR(東ドイツ)で買った絵はがきやら
ひっぱり出して来て、写真まで、撮ったんですが
考えがまとまりませんでした...

東ベルリンに関しては
くだらないバカ系想い出の方が多いですし
崩壊当時の動画を見ていたら、
様々な思いがおしよせて来て
個人的な想い出とは、さすがに、
同じブログには書けません...。
バカ話は、また、後日、書くかもしれませんが
今は、書く気が、どうも起こりません...。

とりあえず、
写真だけ、ここに載っけておきます。
【13ten】古今東西娯楽よろず屋-DDR絵はがき表
アレクサンダー広場の絵はがき(↑表↓裏)
【13ten】古今東西娯楽よろず屋-DDR絵はがき裏
(ここにも当然行きました。)


上海の家には、当時、東ベルリンで
行列して入店した本屋にて買った
世界地図帳やら、生徒用の日記手帳などがありますが
東ベルリンの「記録」で、今
手元に残っているのは、これだけ...

1986年12月6日
東ベルリンで過ごした一日
その記録

【13ten】古今東西娯楽よろず屋-DDRパスポート入国スタンプ

その後、3年もたたないうち
1989年11月9日
壁が崩壊するとは
その時、全く、思いもしませんでした..


夜中じゅう、そのニュースを見ながら
「南北朝鮮」の統一も近いかもしれないと
静かに興奮していたのを
動画を見ながら思い出しました。

動画内の東西ドイツの人々の会話も是非ご紹介したいのですが
今、日本語訳をつける時間が無く申し訳ありません。

3分あたりから、出て来る女性は
西ベルリンの地(というよりも、壁の向こう側)
を再び踏むのが一生の夢だったという事で
夜、騒ぎが収まりかけた頃に現場にたどり着いたのですが
「我が子達の一生に誓って絶対戻ってくるから」という
涙の訴えと、周囲の人々の声援の中
東ドイツ側の警官達の「護衛」のもと
無事、「境界線」を超えて西の地を踏み、また東へ戻って来ました。
The opening of the Berlin Wall 1989 / Reichstag ( English Subtitles )


↓崩壊当時の英国民放局のニュース↓
Fall of the Berlin Wall (ITN News)
(当時の心境は、この動画そのものでした。)


西ベルリンで泊まった宿の女主人の言葉は
非常に印象深く、記憶力の悪い手前にはめずらしく
今でも覚えております。

「ベルリンをね、壁の街って、私どもは呼んでるんですよ」

壁の街....

まだ、世界には、いくつも
壁の街があります。
見える壁も、見えない壁も....


DDR
この国名も、今や、想い出となってしまいました。
【13ten】古今東西娯楽よろず屋-DDR首都ベルリン


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