手前の識る複数言語使い手の中でも
最高の技術を擁する一人である
日独美女サンドラちゃんが、某所で書かれていた話が
非常に面白かったので承諾を得て、こちらでも、
ひっぱらせていただく事にいたしました。
(サンドラちゃん、ありがとうございます!)

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(前略)
日本語は「主語や目的語がなくても文章が成り立つ」から、
これが欧米人が日本語を習う時に最も難しくて大変なことだったりする。
私は子どもの時から日本語習っていたけれど、それでも、
10年前に日本に来たばかりの時は、話す時に、
イチイチ文章の初めに「私は~~~」とか「彼は~~~」とか
「彼女は~~~」とかの主語を入れて、
かなり違和感のある話し方をしてたし(笑)
ドイツ語の文章構成のまま日本語を話していたわけだけど、
今考えると、私、かなりクドイ話し方をしていたと思う

でもね。

日本人同士でも、というか裁判上でも主語&目的語がないことが原因で

「こういうつもりで言った」「いや違う」

などとモメることあるんだなー、と興味深かった

そうなると会話の上でも「以心伝心」に頼らず
全て明確に話したほうが良いのかもしれない?

「お茶くれる?」

ぐらいならさ、内容も大したことないし、ワザワザ

「そこのアナタ!ちょっと私にお茶をくださいませんか。」(←日本語、変?!)

と言う必要はないけど、重要な案件、たとえば
友達同士・恋人同士などの人間関係の大事な話やビジネスに関しては、
主語・目的語がちゃーんと分かるクリアな話し方が必要なんだと実感。

現に私の上司(中国人)は、そのまた上の上司(日本人)から
もらったメールの指示がわからなくて、私によくメールを転送してくるし。
で、メールを読んでみると、本当に誰が何をやったか、
そして誰に何の指示をしているのかが不明な、
よくわからないメールだったりする。
書いているほうは「場を読め」ということなのだろうけれど、
みんな場の読み方が違うから困っちゃうよね(笑)

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※ドイツ人の友達にこの「来たら、すぐいる?」の話
(文章に主語・目的語がない話)をしたら、かなりウケてました。
言語の文法上、ドイツ語を含む欧米圏の裁判では発生しない問題だから。
(ちなみに私は、日本語は曖昧だけれど、そのぶんやわらかいところが好きで、
 ドイツ語特有の何でも白黒ハッキリ明言せよ、
 的な言語とはある意味正反対なのも面白いと思ってる。)

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(以上、転載終了)
(このブログ画面でも読みやすくなるよう勝手に改行してあります)
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主語
実は、ラテン語にも、ございません。
(ラテン語の伝統を強く引き継ぐイタリア語や
 スペイン語でも、一般的に主語抜きなはず)
しかしーーー
これらの言語は
動詞が主語に合わせて変化するので
主語抜きで十分何が主語なのかわかるのでございます。

ラテン語なんぞは
形容詞にせよ、目的語にせよ、全て、
全てーーーーーーっが、活用するもんですから
習う分には大変っちゃぁ大変なんですが
良い所は、どの単語を、どの位置に入れ替えても
同時に、たとえば動詞一言でも
話が明確に通じる、ってとこです。
単語一つ一つが自分の意志を持ってるようなもんでして
この点は、助詞の活用で、語順を、かなり自由自在に
入れ替えられる日本語も似ております。

日本語も、基本的には、ラテン語と同じく
主語抜きでも十分に話が通じる、という
構造でできている言語でございましょう。
言語においては、それほど必要無いものは
どんどん淘汰されていくもんですが
日本語で主語の淘汰が進む理由の一つに
「二人称」が、戦後、うまく確立しなかった、
という側面が大きく影響しているんじゃないかと
手前はかねがね考えております。

明治時代の小説、特に、夏目漱石などを読むと
目上の人を「あなた」と呼ぶのが普遍的であったのが
よくわかりますが、現在の日本で
「あなた」というのは、妻から夫への呼びかけ程度
または、インターネット等で使われる程度に
なってしまっており、
普段の会話では、まず多用されません。

外国の方から日本語で「あなた」と連呼され
なんとなく「いや、それは違う」と、
微妙な気持ちになった方も
いらっしゃるのではないでしょうか。

基本的に、日本語では、
「あなた」の代わりに
尊称つき名前(山田さん、花子ちゃん)
役職/職業名(部長、運転手さんなど)
を「主語」に使うのですが
名前がわかる方の場合は良いものの
名前を知らない方に対して呼びかけるのは
「現在の日本では」
非常に難しくなってしまいました。

私の小さい頃は、知らない人に対し年齢に即して
「おばさん、おじさん」
「おばあさん、おじいさん」
「兄ちゃん、姉ちゃん」
「ぼうや、お嬢ちゃん」
「奥さん、ご主人、だんな..等」
呼ぶ事に誰も疑問を抱いておりませんでしたが
この20年あまりくらいでしょうか、
そうやって呼びかけられる事
(特に、おじさん・おばさん・おばあさん・おじいさん)に
不快感を持つ方が、激増したようで
これらの呼びかけ方も淘汰されつつあります。

こうやって、主語となるべき「人称」や
その代わりをしていた「呼びかけ語彙」が
使い物にならなくなると今度は、
「主語」を避ける文章を作る心理が
強くなってまいります。

そこに重要な役割をはたすのが「敬語」です。
敬語や助詞が、しっかり確立していたからこそ
日本語は、主語抜きでも明確に話が通じる言語として
成り立っていたのです。

ところが、現在、特に、会話などで
「助詞」の淘汰が始まっており
敬語も危うい存在になり始めております。
助詞が淘汰されてしまうと
語順の融通がきかなくなるのですが
そこを無理矢理、自由自在に配置してしまうと
今度は、本当に、話が通じなくなります。

それでも、「仲間内」「事情通」の間では
【単語一つ】で、ある程度、話が通じるのは
日本語だけの特徴ではなく
(おそらく世界共通と呼べるんじゃないかと思いますが)
たとえば英語でも、会話や、携帯メールの世界では
非常によく見られるものです。

時々【海外】では【日本】の「以心伝心」は通用しない
等と言われますが
そんなこたぁありませんよ。
手前にとって馴染み深い
中国でも英国でも「以心伝心」は存在します。

「以心伝心」のような「見えない言葉」が
通用しなけりゃ、「お笑い文化」なんて
成立しませんよ。
「お笑い」こそは、以心伝心
「全てを言わない未完の表現」の究極ですから。

「以心伝心」が通用しないんじゃなく
「以心伝心」の【前提】(常識)が
日本と英国や中国など他国、他文化では異なるだけです。

また、「以心伝心」を【望む】こと自体が
甘えや、怠け心や、傲慢...であったりして
そんな話者の心態が意思疎通を難しくさせる
最大の原因でもあります。


ところで、
複数言語話者に対して
単数言語話者が
「弦外之音や場の空気等々が通じない」
などと断定する事がありますが
実際にそんな例もあるにはあるものの
それは単に、一つの言語しか知らないゆえの
無知誤解である事も非常に多いのです。

複数言語話者というものは
複数文化、複数常識を知っているものですから
「ありえる回答」の数、予測例が
単数話者よりも多く幅広くなってしまいがちで
どれを当てはめるかで迷いがちになったり
(話相手の文化や背景を見極める必要もありますし)
また、時には、「はっきりさせてもらいたいっ」
と、いらだったり
或は、ぶしつけな作法や無礼などに
無意識のうちに無言の抗議をしたくなる
心理もあるもんなんです。

===
サンドラちゃんの主題から、ずれちゃってますが
この話題に関しては、後日、続けたいと存じます。
本日は、長くなりましたので、これにて失敬つかまつります。


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