里親家庭を「家」と呼ばないで
http://gladiolus2009.wordpress.com/
というブログに、めぐりあった時
どれだけの大人が子どもを守るために
どれだけ大人としての責任を果たしているか
あらためて深く考えさせられました。

里子にせよ連れ子にせよ実子にせよ
子どもが大人よりも圧倒的に弱い立場にある事を
肝に刻んで自らを律し続けられる大人が
どれだけ、いるのか...
どこまで徹底できるのか...

せっかく歯科医が通報していたのに
関連機関が徹底しなかったために
むしろ、虐待に拍車がかかったんじゃないでしょうか。

近所のおじさんに聞かれて
「いじめられていません」と答えたのは
この義父をかばったんじゃなくて
海渡くんの必死な生存方法だったんじゃないでしょうか。


小学校や児童福祉機関など関連公的機関に
家庭に【干渉】する「権限と義務と責任」が
明確に与えられ、義務を果たせられなかった場合は、
具体的に責任を問われる制度が成立するまで
何人の子どもが何年にわたって
虐待され続けるんでしょう。

制度の改革...
この言葉が、しらじらしく感じられます。
子ども達が、
今、現在、
泣いている
傷ついている
もう死んでしまっているかもしれない

虐待/イジメに関しては
【大げさ】は、ありません。
余計なおせっかいも無い。

身近にいた、お子さんが
虐待されていたと後になって知るよりも
大げさだと笑われても、行動する事...
そんな行動の一つ一つが重なって
一人でも多くの子どもが救われる...


英国では、先週末
不良としてならしていた10歳と11歳の兄弟が、
地元の児童二人(9歳の甥と11歳のその叔父)に
陰湿で凄惨な虐待暴行を加えた
(性的行為まで強制していた....)
事件の裁判が報道をにぎわせていました。

被害者達が、運良く命はとりとめたものの
一生、体と心に傷をかかえて生きて行く一方、
この加害者達は、出所後は、名前を替え
警察から保護される事になります。
(性犯罪者のリストには載ります。)

犯罪は、この「幼い」兄弟が
父の暴力と母の薬中毒と
この年齢にしてクスリ酒たばこポルノ映画三昧の生活と
合計7人の子どもがいた実家庭を離れて
里親のもとで生活している時に起りました。

親と関連した児童福祉機関等の
責任が強く厳密に問われているのは
(法的措置が既にとられようとしています)
少年に対する法の甘さに対する
行き場の無い怒りだけでは無いと思います。

人としての怒りと
申し訳無さ、自省、
失敗を繰り返さないという決意...

英国も日本も同じではないですか?
良識ある大人には
子どもを守りたいという本能があるはずだと
私には思えてなりません。

それなのに
良識のある大人でさえも
時には、「肝心な、さらなる一歩」が踏み出せない
それは、どうしてなのか....
様々な要因があるでしょう。

一人一人の大人が行動したとしても
一人一人の行動には限度があります。

さらなる一歩を踏み出しやすい「制度」を
速やかに作る事は不可欠なのです。

その為に、どれだけの声があがるか、
その為に尽力する政治家は、はたして、どれだけ、いるか、
その数で、ある程度
日本が、今、「どの程度の国」なのか
どこにいるのか、どこに向かっているのか
わかるのではないでしょうか。

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読売新聞
「パパはいじめない」虐待死の海渡君、親かばう