8月21日の午前1時くらいに急に知り合いのおじさんからお父さんの携帯に電話かかってきた。

おじいちゃんの容態が急変したって。

おじいちゃんとは訳ありで全然会ってなかった

だから容態が急変したって言われてもあんまり実感がなかった

おじいちゃんが入院してる病院に着いたらみんな集まってた。

おじいちゃんの病室行ったらおじいちゃん自呼吸も出来んくて酸素マスクつけてた。

足もつめたくなってた

お姉ちゃんや従姉妹はみんなおじいちゃんに『がんばれ』とか『早く戻って来て』とかいっぱい声かけてた。

でも俺はただ立って後ろのほうで見てるだけやった

容態も変わらんし夜も遅かったし一回家帰ろって話しになった。

でも病院を出て直ぐにまた電話かかってきた

早く病院に帰って来た方がいいって内容やった

直ぐに戻ったけど遅かった

8月21日3時40分おじいちゃん亡くなってしまった

めっちゃ後悔した。
何であん時帰ったんやろ?めっちゃ涙が込み上げて来た。

集まってたみんな同じ気持ちやったと思う

俺は他にも何であん時話しかけんかったんやろ?とかいっぱい涙と共に後悔も出てきた。

おじいちゃんとは本間に5年くらい会ってなかった。

俺がおじいちゃんに会った時は

『おじいちゃん、裕貴やで分かる?』

って声かけたらおじいちゃんは涙流しながら

『うん』

って言ってくれた

そんときはおじいちゃん笑いながら大好物のアンパンアンパン言うてうるさいくらいやった

でもそんときも友達と遊ぶからとか言ってお見舞いも三回くらいしか行かんかった。

でもその数少ないお見舞いの中でおじいちゃんと元気になったら絶対に温泉に行くって約束した

その約束してから5年くらい会ってなかったけど俺はその約束はハッキリ覚えてた

葬式の時に最後におじいちゃんに話したいこと会ったら話しときや言われて

おじいちゃんに色々話した。


『おじいちゃん前みたいにアンパンアンパン言うて笑ってや、温泉に絶対に一緒に行く言うたやん。おじいちゃん…』

その後は泣き崩れて喋られへんかった

病院ではみんなに泣き顔見せたくなくて強がってたけど…

葬式の時はどんだけ強がってもどんだけ涙拭っても涙が後から後から流れて来てとまらんかった

でもその流れてくる涙を無理矢理とめてでもおじいちゃんに言いたいことがあった

だから喪主の人に無理言うて最後におじいちゃんに会わせてもらった


『おじいちゃんさっきは泣き崩れて言われへんかったけど…〇〇家は俺が守って行くからおじいちゃんはゆっくり休んでね。俺は長男の長男やから…』

この言葉言うたら絶対にまた泣いてしまう思った

でもそん時は涙が出なかった

何でか分からんけどおじいちゃんにいつまでも泣いてたらあかん言われた気がした

そして無事にお通夜、お葬式が終わった


おじいちゃん…

75年間お疲れ様でした。そしてありがとぉ

さよならは言わんよ
四十九日終わったらゆっくり休んでね

大好きやでおじいちゃん