わたしはけっこうお引っ越ししています。
生涯では、十回くらいかな。
結婚してからも三回引っ越してて、三年前に建てたおうちが「終の住み処」です。
引っ越しを繰り返して気づいたこと、を少々。
行き止まりの場所には住んではいけない!
これはほんとにしみじみ思います。
行き止まり、とは、
・後ろが山や滝で、どこにも抜けられないどんづまりの集落
・線路やビルに阻まれて入ってくる場所が片方だけ
・川や池が目の前で、後ろに抜けられない、抜けようとすれば人の家を通らないといけない
などなど。
つまり、一方通行になる場所、てことです。
風水のプロではないのだけど、あんまりいいことにはならないと思う。
理由は・・・
「その集落で起きたゴタゴタなどがその家に澱んでたまりやすい」
からです。
不幸自慢ではないのですけどわたしが中学まで住んでた家は究極の「どんづまりの家」でした。
我が家から先には家がなく、無理に進むとたくさん墓地があるだけです。
両親はギャンブルで現実逃避するだけが生きがいになっていたし、わたしはこっくりさんし過ぎて低級霊に干渉され死にかけたり、ともかくろくなことが無かったです。
引っ越してからはがらりと空気が変わりました。
両親は変わることはなかったけど、わたしは、「自分の人生を大事にしたい」と思えるようになりました。
・ギャンブル
・浪費や借金
・浮気
・こどもさんの学校関連の問題
いろんな理由でそうなると思いますが、一番てっとり早い解決法は
お引っ越し
である、と断言できます。
住んでる場所は、とても重要です。
どんづまりにある家は、あらゆる意味で「いろんな家庭の矛盾がふきだまって噴出する」役割を背負わされます。
これは地区でも同じことです。
行き止まりにある地区や学区は、お互いに監視しあってる、ていうか、足を引っ張りあってる、ていうか。
ものすごく住みにくい、と感じました。
我が家は借家だったから引っ越したら終わりだけど、そういう場所にお嫁にくる人は、ほんとうに大変ではないかな。
澱んでることに慣れてしまうと、そこの異常性がだんだん感じられなくなるのかも。
ちょっと考えられないようなことがよく起きました。
都会でも、川沿いとか、線路沿いとか。
スピリチュアルチックに考えなくても、「空気が澱みやすそう」て場所は要注意かも。
環境に敏感な人は、その土地にある溜まったものの影響を受けやすいです。
これは、体質によるのかもしれないけども。
わたしは特に、住む場所によって人生の浮き沈みがものすごかった感じです。
今一年間限定で住んでるところは、ある意味でどんづまりだけど、高台にあって空気が吹き抜けるから、窓さえ開ければ大丈夫っぽい。
逆に窓開けなければ、けっこうマズイ気がします。
知り合いで、学校に行けなかったこどもさんがいる家庭で、引っ越したら問題が解消した、て話を聞きました。
新築の持ち家を借家に出して、自分は賃貸に引っ越したらしい。
勇気のいる選択だけども、こどもさんのために引っ越して、結果よい方向に行って良かったです。
失恋して落ち込んでた女子が、思いきって引っ越して一人暮らし始めて、すぐ彼氏できて結婚した、子宝にも恵まれた、てのも見ました。
逆に、ずうっと実家住まいで、結婚したい結婚したいと言いつつ50になった今も独身のままの人もいます。
引っ越しの効能は、
・土地にある因縁から離れられる
・澱んだ空気が一気に入れ替わる
ために、受けていた影響が跡形もなく吹き飛ばされる、という凄い効果があります。
しかも、引っ越して荷物整理するとき断捨離できまくるのも効果抜群。
現実逃避で思い出しました。
わたしたちはいつも誰でも、現実逃避したがってます。
スマホ見るのだって現実逃避だし、
スピリチュアルも現実逃避だし、
テレビや娯楽も全部現実逃避です。
それだけ、生きていくことそのものが、常にハードモードなんですよね。
それでも、自分の大切な人のために動くことだけは力が湧いてくる。
大切な人の存在がかろうじて、自分を現実に留めてくれてるわけです。
わたしなんて、家族やこどもいなければ、一日寝転がってナマポ生活して、ぐーたらしてるに違いないです。
そして、「スピリチュアル」は、楽しむ側は現実逃避ですが、それが生活になってる人はハードモードです。
見たくないものがしょっちゅう見えまくったり聞こえまくる時期、そしてそれをコントロールできなくてやりかたもわからない場合は、シヌような目に遭います。
アンテナがある人は、できるだけ高い場所に合わせておかないといけないてのがこの年になってようやくわかりました。←遅すぎ。
このはなさくや神社です。昇殿できます。
お不動さま。
こちらも扉が常に開いていて、誰でも昇殿できます。
何時間でも居られる・・
きれいなものを意識して見ること、でも独善的にならずにいること、
そのために、いつも「大切な人」や「現実」に焦点を合わせていくこと。
あと何年生きられるかわからないけど、
この世を去るときは、「側にいるひと」をおもいながら、去りたいです。
それが生まれてきたことの意味だから。