昨日、次男の神社に行ったときのことです。
いつものように車を止めて、表参道を歩いていると、知らないおじさんがトレーニング姿で道を横切りました。
通り抜けの舗装道路のほうへいく道へおじさんがものすごい速足で歩いていかれて、
鍛えてる人は元気だな、すごいな~
と、ちょっとびっくりしてしまいました。
それぐらい、速足だったのです。
わたしは表参道の急な坂をゆっくりと歩いて、神社に着いて手水舎で手を洗い境内に入ると、舗装道路へ行ったおじさんと鉢合わせしました。
ん?あんなにゆっくりと歩いたわたしと、すごい速足のおじさんと鉢合わせ?まあ、あちらのほうが少し距離があるからかな、と咄嗟に考えて、おじさんが先に参拝できるように道を譲りました。
おじさんは、すたすたとど真ん中の道を神様の前に進み、
大きな声で、祝詞を唱え始めました
トレーニング姿のおじさんの祝詞は、妙に垢抜けていて、こなれた感じのものでした。
アマテラス
はらえどのおおかみ
世のため人のため
わかる単語がところどころありましたが、それらはわたしの聞いたことのない祝詞です。
わたしが「このはなさくやひめ神社」で授かった祝詞集には載っていないものです。
しかも、かなり長めの祝詞です。
大祓詞と同じくらいの長さです。
それをすらすらと、宙で唱えていらっしゃいます。一度もつっかえたり、間違ったりしてるふうではありません。
すごいな~このかたは絶対神主さんだわ、と思い、祝詞を最後まで聞いて、境内を散策したあと、おじさんが帰っていく気配がしました。
そのあと、わたしはじっくりと神様にお祈りして、その間もずっと背後に人の気配がしていました。
おじさんが戻ってきたのかな、と思いました。
でも振り返るのも変なので、お祈りを終えて、
後ろを見ると、そこには誰もいませんでした。
よく考えると、なんか最初から最後まで、変な感じなのです。
おじさんはトレーニング姿で舗装道路へ行ったのですが、そこは車で通り抜けるための舗装道路です。
トレーニングのためなら、表参道を速足で歩くほうが、土の感触や景色も気持ちいいし、わざわざ薄暗い舗装道路を行く必要はないのに。
そして、あの猛烈な速足で、めっちゃゆっくりと歩くわたしに神社で鉢合わせ、てのも少し考えにくいです。
舗装道路は多少距離は長いけども、たいした差はないはずです。
わたしも車で何度も通ったし、歩いたこともあります。
距離にして、たぶん二十メートルの差ぐらいのものだと思います。
あの速度で歩いて、鉢合わせるかな?と考えてしまいます。
それに、境内での仕草も、
神主さんなら、堂々と「神様の通り道」である真ん中を通ったりしないだろうと思うのです。そこは神様の通り道なのにな、とわたしは見てましたが、おじさんはまったく気にしていないようでした。
そして、あの祝詞・・
普通の人があんなにすらすらと、たぶん一般的でない長い祝詞を神社で唱えることはないと思います。
しかも、誰か他の人がいた場合、あんなに大きな声で唱えるは、少なくともわたしは今まで一度も聞いたことがありません😅
まるでわたしにも聞かせるか、というような勢いで、滔々と、滑らかに、整った音調で、なんとなく心に響く感じで・・。
どこかの神社の宮司さんだろう、とそのときは思いましたが、本職の宮さんが、よその神社で、Tシャツ、短パン姿で堂々と道の真ん中を通ってまっしぐらに神前に進み、大きな声で急に本格的な祝詞を唱えるて😅
なんかおかしくないですか?
そんなことを思うのも、少し後になってこうして振り返ってみるからで、そのときは
そんなもんや~
的になーんも考えずにいたのです。
おじさんが背後にいる、と思ってたけど結局誰も居なかったし。
わたしが神社を出るとき入れ違いで、老夫婦が参拝に来られてました。
仲良さそうな老夫婦を見てほっこり和んで、ここの神様はすごい優しい波動だな、などと呑気に考えてました。
後になって、
と思うことばかりです。
なんかに化かされた気分。
天狗さんかも知れない。
ひょっとしたら近所の宮司さんなのかも知れない。
この、微妙に現実のような現実でないようなライン、わざと誰かが演出したとしたら、相当手が込んでますね。
別にどうってことない偶然なのかもしれませんが、
誰か、その道のプロが本格的で珍しい祝詞をわたしに聴かせてくれた、てたけで、ものすごくありがたいことです。
天狗さん、ありがとうございました☺