タイトルはなんだか大袈裟ですが、

でも
これだけは日本人にしかできないし、日本人に最も合った「道」であり願望達成術です。

そして、神社に通うたびに、そこで心を澄ませるたびに聞こえてくるのが、

「加えることはできないが、余分なものを取り去り内なる光を削り出すことはできる」

というような音のないのメッセージです。



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具体的に言うと、

何か目標があるとき、人はどうしても、「足りないものを足そうとする」傾向に走り勝ちになります。


でもそれは、日本人が持つ潜在能力では苦労ばかり多くて受けとる実が少ないやり方です。

日本人的な、神社の神様にも通じる神通力は、実は、

加えようとするのではなく、

余分なものを削り、元々あるものを削り出すほうに意識を向ける

ことです。そうすれば、本来持っているものが引き出されてすべてうまくいきます。



具体的なシンプルな例を挙げると、

・体調が悪くなったら、栄養のあるものを食べて薬を飲む❌

体調が悪くなったら、断食して胃腸を休めて水を飲んで毒素を排出する⭕

・部屋をきれいにしたいなら、収納術を学び整理整頓しやすいラックやボックスを揃えて整理する❌

部屋をきれいにしたいなら、ともかく持ち物を極力減らす⭕←いわゆる断捨離ですね

・ダイエットしたいならダイエットサプリで栄養を補いダイエット用具や器具を買ってがんばる❌

ダイエットしたいならともかく歩いて体を動かす⭕

・きれいになりたいなら整形する❌

きれいになりたいならまず自分の顔を好きになる⭕



ともかく何にでも言えることですが、

何かを足すよりも、引くことのほうが問題を根本から解決できます。

そして、足すことを辞めて引くことを実行すればするほど身軽になり、本来持っている輝きが削り出されてくる、というものです。



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本来、みんな自分に必要なものは持っています。 

みんな神様の光輝く分け御魂を心の内に持っており、

必要なものは世界に既に整っています。

それを外から得ようとするよりも、ひたすら「内に向かって掘り進む」こと、その掘り進むお手伝いをしてくださるのが、「神社にいらっしゃる神様」です。



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次男の痛みを治してくださったのも、

「痛みの原因となる記憶や因縁や生き霊」を神様が取り払ってくださったからです。

わたしが今少しずつ取り戻している、「見えないものに対して心を開く」能力も、神社の神様に頼んで後から付け加えているのではなく、元々幼い頃には溢れるほど持っていたものを「削り出している」だけです。


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神様は、「余分なものをきれいさっぱり取り除く」ことや、「内にあるものを削り出す」ことは、本当に喜んで手助けしてくださいます。

逆に、

「試合に勝たせてください」とか、
「宝くじに当ててください」とか、
「恋人を与えてください」とか、
「もっとアクセス数を増やしてください」(笑)とかは、力を貸してくださいません。

願い事をするとき、

「分け御魂が輝くよう、余分な雑念や記憶や想念を取り払ってくださいませ」

というような方向でお願いすると、あっという間に叶います。

結婚したいなら、

「この世にいるはずの結婚相手と出会う道にあるいろんな障害を取り除いてください」と願い、

お金が必要なら、「○○するのにこれだけのお金がわたしの元へやってくるよう、雑念や不安を取り除いてください」

と願うようにしてください。

本来、本当に必要なものは、世界にすべて準備されています。

それがあなたの元に来ないのは、何かの念や、生き霊や記憶が邪魔してるからです。

あるいは、それは本来、あなたの本質には存在しないもので、表面上のの我欲で「欲しい」と思い込んでいるだけのものです。

日本の神様は、日本人に合った「引き算と浄化」で、本来そばにあるべきものがやってくるようにしてくださいます。



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西洋の教会は、空間を「浄化」するよりも、ゴッドの愛で空間をいっぱいに満たそうとするものです。

「引き寄せの法則」も、自分には○○が足りないから外から引き寄せてくる、ていう足し算の発想です。

この発想では、神社にあるような「引き算と浄化」作用がうまく作動しません。

自分の願い事が足し算の発想か引き算の発想か、普段から意識してみてください。

引き算の発想は、日本人にしか上手に発動できない究極の願望達成術です。