こんにちは✨絶賛スピリチュアル中のりゅうかです☀
誠心誠意祈ろうとするならば、自分の命を神に捧げるべきです。
誠心誠意祈ろうとするならば、自分の命を神に捧げるべきです。
ここ二三日一気に流れが来てて、目まぐるしい・・何からどう話していけばいいものか。
まず、本日、身震いするほど感激したことを書かないとなりません。
それは、わたしの大好きなかたのブログのこの記事を読んだときにやってきました。
わたしは去年の出雲大社の神在祭に行くため、マイ潔斎を始めていました。
神様に会うために肉食と魚介類を断ち、体の内から自分を清め、神在祭でお願いしたことは、すぐに答えをいただいたのです。
そのあと、クリスマスに潔斎を破り、急激に風邪を引き込んでしまい、それに懲りて菜食に戻って現在に至っています。
その流れのまま、話は変わります。
今年に入り引いたおみくじで、「大吉」だったものの、裏の「神の教」には気になることが書いてありました。
神様に繋ぐ心の綱は、飽くまで清くなければならぬ。清くなければ神様に通じない。
これの意味がわかりませんでした。
それが小骨が喉にひっかかる感じで気になって仕方ありませんでした。
というのも、わたしは毎日神社に参拝しています。
食べ物にも気を配って、動物性のものは一切口に入れてません。
たまに神社にお供え物も持っていきます。
神社では心を込めて祝詞を唱えているし、神様にお会いできるだけで嬉しい、という純粋な気持ちもちゃんとあります。
家では毎晩「大祓詞」をとなえて眠ります。
でも、おみくじには、
「神様は不浄をうけたまわぬ」
て書かれてる。
わたしは、何かが不浄なのかな・・
そこでわたしは考えました。
これ以上の真心を示すには何をしたらいいのだろうか?
でも、何をしたらいいのかわかりません。
食べ物は注意深く選別しているし、参拝もこれ以上増やせない・・
ずうっと気にかかっていて、
本日その答えをいただきました。それが、青山桃子さんの記事にある、
誠心誠意祈ろうとするならば、自分の命を神に捧げるべきです。
という言葉でした。
ここから引用させてください。
食は自分の命を養う根本です。
これを献じ、奉ることは、自分の命を献じることと同じです。
いつも三椀食べているなら、二椀にして、一椀を神に献じ奉ること。
改めて別に献じる必要はありません。
毎日、膳に向かい、自分が信仰する神仏を心の中に描き、言うのです。
『ただ今、三椀のうちの一椀を献じ奉る』と。
心の中で祈念し、その後で、自分は二椀を食べるのです。
献じた一椀は神が受けとるでしょう。
神は正直者の心に宿ると言います。
汚れた物は受けとりません。
ただ純粋な志だけを受けとります。
これを献じ、奉ることは、自分の命を献じることと同じです。
いつも三椀食べているなら、二椀にして、一椀を神に献じ奉ること。
改めて別に献じる必要はありません。
毎日、膳に向かい、自分が信仰する神仏を心の中に描き、言うのです。
『ただ今、三椀のうちの一椀を献じ奉る』と。
心の中で祈念し、その後で、自分は二椀を食べるのです。
献じた一椀は神が受けとるでしょう。
神は正直者の心に宿ると言います。
汚れた物は受けとりません。
ただ純粋な志だけを受けとります。
そして、この言葉。
たとえ千日千夜祈願しても、自分に誠がなければ神明はどこにもありません。
青山さんの水野南北の記事に書かれたこの言葉を見たとき、
おみくじの、「神は不浄はうけたまわらぬ」という文言の答えはここにある
と直感しました。
まるで雷⚡が落ちてきたように、答えが書いてあったのです。
それが、
誠心誠意祈ろうとするならば、自分の命を神に捧げるべきです。
という水野南北の言葉でした。
振り返ってみれば、
わたしが潔斎をしたのは、自分の願い事が叶いやすくなるため、でした。
わたしが神社にお参りするのは、霊能力を高めたり、運を良くしたり、より良い人生を築きたいと思ったからです。
さらに、こどもたちの人生が順調であるよう神様にお願いするためです。
そこに神様は存在しませんでした。
存在するのは、「自分の」願い事であり、「自分の」欲望でした。
そしてわたしが潔斎をするのも、「自分の身を浄める」ためで、動物性のものをたべないのも自分の体調を整えたいためであり、神様に願い事を叶えてもらいやすくするためでした。
しかも、潔斎をしているといっても、食べる量はむしろ増え、いつも満腹で、好きなだけ食べていたのです。
自分が満腹になるまで食ベていたものを「神様に献じる」、それが真心であり命を捧げること、という発想は、今まで一度も持ったことがなかった・・
わたしのお供え物は、全然神様のお心に響いていなかったでしょう。
そして、わたしの「潔斎」も、そこに神は居なくて、ただの欲望から発する自己満足でした。
本日青山さんの記事を見て、わたしは今、
今後は清い心で、自分の命を神に捧げる
と固く決心しています。
わたしはいつも、神様と共に在りたいからです。
その他にもいろんなことが次々に起こり、今大きな渦に呑み込まれています。
長くなるので、また書きます。