こんばんは✨絶賛スピリチュアル中のりゅうかです☀

忙しい毎日の中で、スピリチュアルに向ける時間がかけがえのない安らぎなかたも多い、と思うと、心から「わが同士たちよ✨」と思ってしまう😅

皆様、心から、



おねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがい


今月、1月16日に受け取った

今この一瞬に、すべてのことが起きている

という意味を考え続けています。

同時に、「わたしはあなた、あなたはわたし」という言葉。


気になることは考え続けないといけない。

というのも、おみくじに書いてあることが気になって考え続けていると、ある日思わぬ場所からどんぴしゃの答えがやってきたりして、ああ、これだ、とパズルのピーズがはまるような快感というか、それをまた味わいたいからです。


詳しくはこちらの記事。


あなたが疑問に思うことは、必ず答えがセットになってあなたに見つけられるのを待っていますよ✨



おねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがい

今この瞬間、すべてのことが起きている

神社の境内を歩いているとき、なんの脈絡もなくふいに降りてきた言葉です。

最初、ぽかーんとなりました。

自慢ではありませんが(笑)わたしは幽霊の声は頻繁に聞こえてくるけど(テレビの音のように)神々の声を聞いたことはまだ一度もありません。



「降りてきた」というのは、

まさに唐突に、ふって沸いた感じで、

ものすごく正確に描写すると、

太字のゴシック体の文字が巨大な塊となって目の前に落ちてきた

のような感じ。


自分の脳から沸いた言葉では無いことだけはわかります。

意外すぎて、ん?と一瞬周囲を見回したぐらいです。

そのとき歩いていた参道は木々に囲まれ、人に会うことはまずありません。

たいていわたしがたった一人で歩いています。

ここを歩くときはほぼ瞑想状態で、最近、野生の鳥たちもわたしに無警戒ですぐそばで水を飲んだり、遊んだりしてます。

そこに、物理的にいかにも重そうな文字の塊が

どーん

と落ちてきたので、正直、ビビりました。


 

びっくりびっくりびっくりびっくりびっくりびっくりびっくりびっくり


そのときから、大袈裟にいうと寝ても覚めても、「答え」を探し求めています。  


わたしの守護霊様的なかたは、いつも自動的にうまくいくような波には乗せてくれません。

どちらかというと手出しせずじっと見守ってくれてる感じで、今回も、神社の神様がくれたものすごく大切そうな荷物を解説してくれるわけでもなく、

さて、琉風はどうやってこの問題を解くかな

とじっと見てらっしゃいます。






ここにお住まいの神様が文字のブロックを落としてくださいました✨



言葉があまりにも象徴的なので、答えも膨大になるよね・・

現時点では、

この文字ブロックに琉風は気づくかな?

と見てらっしゃるような気がする😅

神様はわたしの守護霊様ではないので、もう少し遊び心がある感じ。

少し面白がってる気がする。

ちゃんと気づきましたよ~💕


おねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがい


いまの段階では、「文字ブロック」が降ってくるのに気づけたのが、わたしにとってはすごく嬉しいです。

今までここの神様は、わたしが願い事をして、それを叶えてくださる、ていうやり取りしかしていなかったので、初めて神様からのアプローチを「受け取り」ました。

わたし→神様→わたし

だったのが、

神様→わたし

になったわけです。それが嬉しい🎵😍🎵

それにしても、さすが高次の存在は、途中をすっ飛ばしていきなり核心に来ますね。

というか、思惟が高度すぎて、伝えたいことが言葉に収まってない的な感じ😅

今度はもう少し、人間の脳に収まる範囲のお言葉をお願いします🙇⤵





ところで、


少し前まで、神々のお声を聞きたいな、と思っていました。

今は望んでいません。



なぜなら、そもそもわたしはずうっと「見えて」いたのに、「神様を見えるようになりたいな」とずうっと望んでいたからです。

いざ、見えてますよ、てなったとき、がっかり、というか、「それがどうした」的に感じてしまいました。

大切なのは見えることそのものよりも、

「見えて何をするか」

であり、

「それをどう人に役立てるか」

である、てことがわかったからです。

見えても聞こえなくても構わない。

もし見えて聞こえるなら、それをどう人々の生活の向上や心の次元の上昇に役立てるか、

神々はそこにしか関心が無いのです。

わたしはね・・・

今、一番大きな望みは、

もっと、人を愛せるようになりたいな。

てことです。

それ以外はもう与えられているので・・


もっと人を愛せるようになりたい。

それだけが、果てしなく遠くて切実な望みなのです。