こんばんは🌙😃❗絶賛スピリチュアル中の琉風です。
読書をしていて急に、
「吉備津神社または吉備津彦神社に行かなければならない」
と、唐突に指令を賜りました。
神社に参拝しているわけでもなく、祝詞を唱えていたわけでもありません。
一番しっくり来る表現は、
「血が呼んでいる」
という感じです。
急にいろんな画像が頭の中を巡り、夢を見ているような気持ちになりました。
前に吉備津神社にお参りしたことを書いています。
わたしはたぶん、ヤマトに滅ぼされた吉備王の館に仕える婢の中年女性でした。
そして、吉備津神社は、「征服した側」の皇子を祀る神社ではありません。
雄々しく抵抗し、吉備の里を焼き滅ぼされた側の怨念を鎮めるための神社です。
ヤマトの軍団が「軍隊」として攻めてきたとき、吉備は各々が玉鋼から造った固い棒を振るって応戦したこと。
しかしその棒は本来武器ではなく、「鏡」を作る技術として洗練されつつあったもので、いくさのために転用された急拵えのものであったこと。
青銅の武器しか持たないヤマトに対して鋼の棒は威力を発揮しましたが、
人数の多さと、「集団戦法」を持つヤマトの軍団には次第に押され、どんどん山の奥に追い込まれたこと。
吉備王は、ヤマトの民が結っていた髪型
とは違い、
こんな髪型
だったこと。
吉備の人々は、当初訪れてきたヤマトに友好的に接していたのに、騙し討ちに合い、王族の一人を殺されたこと、
そこから、ヤマトと戦わざるを得ないように追い詰められていったこと、
戦争が始まってから、
ヤマトの人々は吉備の人々を同じ人間とは思わず、「鬼」と称して殲滅していったこと。
吉備の人々は、実のところ、「鬼」という概念そのものが無く、なぜヤマトが集落を攻めて滅ぼすのか、それさえも理解できませんでした。
かれらは、他国を「征服する」ということ、「軍隊という集団で襲いかかってくる」ことがどういうことかも知らなかったのです。
わたしは、その争いのなかで逃げ惑い、自分がなぜ殺されなければならないのかわからないまま、逝ってしまいました。
わたしから見たら、なぜヤマトの人々は自分の里を焼き払わねばならないのか、訳がわかりませんでした。
「支配する」とか、「領地を広げる」という概念も、無かったようです。
あるのは、代々伝わる「鋼の錬磨」の技術を持つ吉備王への、ぼんやりした憧れだけでした。
鋼を山中から見つけ、刃物や人の姿が映る不思議な道具に変える技術を受け継いでいる一族への尊敬だけで、緩く結ばれている国が、「吉備の国」だったようです。
そこへ、ヤマトは、「国」としての「軍隊」を持ち、「征服」という新しい概念をもたらしたのでした。
その概念は、吉備の民からしたら、ただの「暴力の嵐」でしかありませんでした。
長くなりそうなので、つづく。
吉備津神社の回廊。
いつ行っても、物かなしい波動が伝わってきて切ない・・