みなさんこんばんは✨絶賛スピリチュアル中の琉風です。
標題のとおり、ここ何日間は、千何百年か前に生きていた自分を探すのに夢中になっています。
鮮烈な感情を伴って、「こうだった」「ああだった」と思い、たとえそれが書物や言い伝えとは違っていても、「でも、こうだったんだよね」ていう静かな確信があるのです。
「桃太郎」ていう昔話は日本人なら知らない人は居ないでしょう。
そのモデルとなったのが、岡山県にある「吉備津彦神社」「吉備津神社」に祀られている吉備津彦命、です。
鬼の代表は「温羅」。うら、と読みます。
温羅はとても横暴で、人々が困っていて、そこで朝廷に「ぜひ軍隊を派遣して温羅を討伐してほしい」と申し出があり、派遣されたのが彦五十狭芹彦命(ヒコイサセリヒコノミコト)です。
イサセリさん(名前が長いので略します)は温羅を退治して、鬼退治が完了、そこで吉備津彦命と改名した、とのお話が、「桃太郎」の原典です。
ここらへんは、古事記にも日本書紀にもあり、実在、または、少なくとも似たようなことはあったのでしょう。
岡山県にはたくさんの古墳があるし、古代の山城である「鬼の城=きのじょう」があり、「真金(まがね)吹く吉備」という言葉があるように、当時の先進技術である製鉄の産地でもあり、鏡もたくさん出土されているらしい・・
ここ二三日で、少し詳しく知りました。
わたしは古代史の専門家でもなんでもないので、こういった知識は皆無だったのです。
ただ、吉備津神社にお詣りするたび、「嘆きの唄」のような音が聞こえたり、回廊を歩くとものすごく悲しくなったり、津山市の中山神社や、吉備津彦神社では、胸が削られるような感覚がしてました。
そして、思い出したのが、
桃太郎の話はまったく逆で、素朴かつ平和に豊かに暮らしていた吉備の民は、ヤマトに嵌められて戦争に持ち込まれ滅ぼされた
のです。
神社に祀られているのは、ヤマトの皇子ではなく、温羅(ほんとはこの人が吉備津彦)。
桃太郎は正義のヒーローではなく、吉備の民にとっては、むしろ鬼はあちらさま、てことです。
ちなみに、思い出すのは、吉備の民は、攻めてきたヤマトの人々よりかなり丈があり、身体もイカツイ感じで、顔立ちもはっきりしていました。
たぶん、蝦夷系あるいは半島系でない渡来系(大陸の北方民族?)だったような・・「匈奴」または「鮮卑」と呼ばれていた人々では?と。
この辺は、憶測です。
半島の渡来系なら、顔が扁平だったはずで、それだと記憶に合わない。ヤマトが「鬼」と称した吉備の人々は、鬼のイメージ通り、大きくて濃い感じでした。
その点で、
鮮卑族(大陸の北方民族)なら、「北魏」から「唐」につながる人々で、製鉄のような先進技術を持っていたことが推測されるからです。
しかも体格も大陸の南方民よりデカくて、古代ロシア系、スキタイ系の血を持っていたと想像されます。
背景的なものはともかく、わたしのかすかな記憶によれば、人々はみな、「温羅」を敬い、一族の繁栄を望んでいたのでした。
わたしは身分が低かったので、王様に直接対面するようなことは少なかったのですが、
王の弟の一人がヤマトに利用されたあげく、死体で発見された
ことで、不安な気持ちが一気に脅えと憎しみに変わっていったことは、はっきり思い出せます。
わたしたちは、いつのまにかヤマトに追いたてられ、中山(吉備津彦神社のご神体)からも逃げ出さなければならなくなりました。
ヤマトは、なぜか、吉備の人々がのどかに仰ぎ見ていた「中山」にものすごく執着し、あっと言う間にそこを自分達のものにしてしまったのです。
それは、前にかいたように、「人の大事にしているものを大事にする」思いやりではなかったかも。
吉備の人々がそこを「聖地」として見るように、ヤマトの人々も中山を「神の宿る山」とみて、どうしてもそこが欲しくなったのでしょう。
中山を奪われた辺りから、わたしたちははっきりと、「ヤマトは敵」として認識していったように感じます。
それまでは、遠来の友として遇し、互いに贈り物をしたり、こちらの生産品である鏡を送ったりしてたのです。
ヤマトの人々は、鏡の持つ光を見てものすごく感じいったようで、はじめはものすごく丁重で友好的な感じだったのです。
王様は、ヤマトの人々に乞われるまま、製鉄や鏡の製作を見せ、ヤマトの人々の持つ武具や玉飾りを見せてもらったりしていました。
こんどお仕事お休みの時は、鬼の城や鏡が出土された古墳などを巡ってみたいと思います。
わたしが感じていることが正しいかどうか、少しずつでもわかってくると願ってます。
わたしがもっと霊感が鋭ければ、神社で神様とお話できるのですが・・
桜井識子さん、青山桃子さん、Mule さん、ぜひ、吉備津神社にきて、お話してみてください・・
もっとも、識子さんは吉備津神社に来てみたものの、神様が閉じ籠ってしまい、全然お話できなかったらしいです。
識子さんが言われる通り、吉備津彦神社と吉備津神社のご祭神は、別だと思います。
吉備津彦のほうは、ものすごく優しい波動です。ご神体が、中山だからかな・・(もっともこちらもご神体は吉備津彦命になってるけど)
吉備津のほうは、哀しみのような、元人間の感情が残ってる感じです。
こちらは、温羅さんだと思います。
地面の底に温羅さんの首が埋まってるということですが、それも識子さんが言われる通り、「とてもそんな禍々しいものが埋まってる」とは思えません。
なんというか、吉備津神社の回廊は、哀しみしか感じないのです。
日本がある限り、「鬼」と蔑まれ、桃太郎のようなお話で未来永劫蔑まれるとしたら、それは哀しくなると思います。
でも、この前は、あまり哀しい感じはしませんでした。
少しだけ、歓迎された気がしました。
わたしのスマホはもう十年使ってる古いアンドロイドで画質も悪いのですが、
射している光が優しい気がします。
吉備津彦神社は、ずっと優しいです。ふんわりしてます。
実はこの日、吉備津彦神社に行くだけで時間の都合で帰ろうと思ってました。
そして、帰りの道をナビで倉敷の家に設定して(この辺の道にあまり詳しくないので💦)帰っていくと、なぜか一度も通ったことのない道を通りました。
ナビの設定が変なのかな?前に通った道と全然違う!と思って進んでいくと、行く予定でなかった吉備津神社の門前に着いて、そこで、参拝することにしました。
寄って行きなさいよ
と呼ばれた気がしたのです。
たぶん、ですが
吉備津神社、吉備津彦神社の神様がたは、まだ人間だった頃見知ったわたしを、ひょっとして覚えてくださってるのかな、と思いました。