みなさんこんばんは✨絶賛スピリチュアル中の琉風です✨
本日は、大好きなブログのかたが大変な目にあってらして・・
ダメージ受けてらして、心配しています。
わたしも過去、二度炎上させたことがあります。
いろいろと大変でした。
剣道ブログの過去の読者は、リアルタイムで炎上してるのを見てます。
ネットとスピリチュアルて、少し似てる。
線引きしないと、ネットの世界が悪いふうに現実に侵食してきてしまう。
こちらはきっちり線引きしても、侵食されてしまう場合もあります。
現実に飛び火して、ものすごい消耗します。
ネットは怖いところだ、と思いました。
それでも乗り切れたのは、
自分が過去築いてきた現実の重み
のおかげです。
完全にネット世界に依存にしてたら、なかなか立ち直れなかったかも。
やはり、大切にすべきは身近な人、今打ち込んでいることである、としみじみ思いましたよ。
それさえあれば、絶対大丈夫ですよ。
話は変わって、前回の続きです。
懐かしい故郷に辿り着き、夢見心地のまま、「鬼ノ城」に向かいました。
現代の機械と技術を使っても、総工費200億円、二年かかる大工事、と大手土木会社が試算されてます。
人力しかない当時、一体延べ何十万、何百万の人々が動員され、何年かかったのでしょう。
こんな大岩を、高い山に運んだり、
こんな石畳をなんキロも敷き詰める、て。
しかも、このお城は「防衛のため」。
見た目が大事な、後世の天守閣とは違う。
鬼ノ城からは、吉備平野、瀬戸内海、四国まで見渡せます。
奈良朝の「防人制度」の一貫だったと考えられてます。
当時は、唐、半島の国々が虎視眈々と小さな倭国を狙ってたからね。
このお城の戦略的価値は高かったでしょう。
前日、ここで「怖いことがあった」とかいたのは、スピリチュアル半分、その多の要因半分です。
鬼ノ城は高い山なだけあって、人もいないし、ちょっとした山登りにもなります。
道がととのってるだけに、どこまでも歩いていける気分になり、出発地点からどんどん離れても、「まだまだ行ける!」「どうせなら、もっと遠くにいってぐるっと一周してやろう」的に進みたくなってしまいました。
メインのお城を過ぎてまだ先を歩いていると、どんどん道が細くなります。
そのまま一時間ぐらい歩いていました。
もうそこは、登山道らしきものがかすかにあるだけのただの「山の中」です。
そして、あちこちに、古代の人々が残した石畳が残っている。←これが結構地味に怖さを助長する。
でも、
なせか戻ろうとは思いませんでした。
駐車場からはどんどん離れ、人が誰もいない山の中で、意地になって前に進もうとする謎の自分・・
おかしい。
戻らなきゃ。
戻らないと日が暮れてしまう。
自分でもわかってるのに、戻るのが勿体ない気分になるのです。
そこでわたしは気づきました。
これは、ヤバイ。「道迷い」で遭難した人、遭難で命を落とした人の心理状態と同じだ・・
このブログをお時間あるときに読んでみてください。
道迷いの典型的な事例で、
○もとに戻るのを嫌がる
○客観的に見て、正常な判断ではないのに、自分ではものすごくマトモと思ってる。
○追いこまれたあげく、日常的な幻覚が表れ始める
このブログや、新潟親子遭難死(で検索)、などの記事で読んだ心理状態に、今まさしく自分がなっている、と感じました。
その上、古代の遺物がそのまま目に入り、微弱ながらスピリチュアルアンテナがあるわたしに、当時の人が祈ってる声とか、城建築で命を落とした人の気持ちとか、追い出された先住民の悲しみとかが少しずつ流れ込んできてるのがわかりました。
これは、「道迷い」というより、
ここの磁場がわたしを呼んでいるから、戻るのが嫌なのかも
と気づいて、背筋が冷たくなりました。
そこから急いで❗戻りました。
ほとんど駆け足で、ぜいぜい言いながら、人がいる地点まで戻ると、ほっとしました。
後から考えて、
なんであんなに前に進みたかったんだろう?
お城は一方通行で、駐車場も一ヶ所しかないのに。
進んでも景色が良くなるわけでもないし、整備された道があるのかどうかもわからないのに。
戻っている最中には、現実のことだけを考えながら歩きました。
こどもの顔を思い浮かべて、こどもの帰る時間を計算したり、今日すべきことをもう一度考え直したり、場所の磁場に捉えられないようにしました。
これが、ただの霊的な干渉なら、真言唱えたりで撃退できるかもだけど、
遭難とか、場所の磁場に捉えられたら、難しいです。
山などで遭難死されたかたがたが真言を唱えても、神様も助けることは難しいです。
なぜなら、「場所そのものの磁場」は、もともと人間に忖度してくれはしないからです。
地震や津波がスピリチュアルでは解決できないのと同じです。
しかも、「古代の遺物がそのまま残っている」ような場所は、そこにスピリチュアル系の干渉も入ってきます。
あのまま進まなくて良かった、もし進んでたら、夜になっても出られなくなって、下手したらほんとに遭難してたかも、と思いました。
観光地とはいえ、二月の寒空で山の中、薄着、水も食料も持ってなかったし。
ここでも、
現実の重みに助けられた
と思いました。
今ある自分を必要としてくれてる人びとは、場所の磁場にも、霊的な干渉にも耐える強いバリアの役目をしてくれます。
ネットでも、スピリチュアルでも、現実にグラウンディングしてあるからこそ、自分の軸を持って立っていられるんですよね。
明日は、「造山古墳」であった出来事をかきます。
女神様がいらしゃいましたよ🍀