こんばんは✨絶賛スピリチュアル中の琉風です✨ 

タイトルにもあるとおり、「スピリチュアル」は誤解されてます。


○波動が上がる→現世では苦労が多くなる

○霊能力を持つ→現世の生活においてはっきり言って全然役に立たない。こどものころなんて霊的なバリアが自分では張れないから怖い思いしかしないし、正直ロクなもんではない。

○審神者や霊媒、当たりすぎる占いは、明らかに寿命を縮める。

などなど、

正直、巷で言う「開運」どころのシロモノではないです。

むしろ、霊能力者は現世では恵まれなくなります。客観的に。

神仏と繋がれるから現世で幸せになれる、というのは、ものすごい誤解です。





ただし、ある条件が加わると、スピリチュアルが凄まじい開運に繋がる可能性もあります。

それは、


①自分のことはまったく無欲で無心。

であることと、

②自分の最も大切にしているものを惜しみ無く神仏に捧げる

ことが加われば、という条件です。


①は、実証済みです。

わたしは幼い頃から、霊的過敏で、怖い思いばかりして、ほんとロクなこと無かったです。

でも、このカテゴリにくるきっかけになった、次男の足の痛みを神社の神様が取ってくださってから、

あれ!?

て思いました。

それまで、神社でお願い事をして、ほぼ「叶った」と思ったことがありませんでした。

受験、就職、恋愛、金運、あらゆる願い事を全然叶えてもらえないので、いつしか神社から足が遠ざかっていきました。

その間、必死で自分の足で立ち、霊的過敏もスルー力を身に着けて平気になり、バリアも張れるようになりました。


そして、いよいよ、自分以外のことで、自分の努力ではもうどうにもできない、ただただおすがりするしかない、という窮地に立って、無心におすがりすると、

あっと言う間に願い事が叶いました。

今、よく考えてみて、


自分のことなんてまったく念頭に無い

ことが、以前とは完璧に違うんだろうな、

と気づきました。

そうして、少しだけ、スピリチュアルの仕組みがわかった気がしたのです。

以前にも、最近やけに願い事が叶うよね、て不思議に思って記事に上げています。



御祓を終えたこととか、グラウンディングの深さも絶対関係してるとは思うけど、究極には、
 

無私、無心であること

が決め手なのではないかなあ、と。

えっ!?

てことはやっぱり、スピリチュアルは「自分の」開運には繋がらない、てとこじゃないですか、

(´・д・`)ガッカリ

となりそうなのですが、実はそうでもないです。

身近な人が幸せなら、自分も幸せだし。

こういう心境にごく自然になっている、てこと自体が、若い頃の自分とはまったく違ってるわけです。

(^ω^)(^ω^)

ここまで来るには、やはり、ある程度の年月が必要だったんだな、と感じてます。

もちろん、若くても無私な人もいるかもしれませんけど、あくまでわたしの場合は、です。

神々はもちろん、すべての人に同じように願い事を叶えるパワーを注いでいらっしゃいます。

でも、問題は、受け取り手、人間側にあります。

「私利私欲」のバリアは、神仏の与えるエネルギーを体の中に通さず、跳ね返してしまいます。

つまり、エネルギーが駄々漏れるわけです。

お金でも、神々のエネルギーでも、

「自分以外の人のためにすること」
「家族、地域、社会、国全体のためにすること」

目的が崇高であればあるほど、大きなエネルギーが内部に流れ込みます。

お金持ちは、社会的に貢献してるからこそお金持ちになってるし、

神仏のエネルギーの受け取り手が無私であればあるほど、願い事も叶いやすくなるのです。


おねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがい

②の、自分の大切なものを惜しみ無く神々に捧げる、については、ただ今検証中です。

わたしは、水野南北さんの言われる「食」を神々に捧げてます。

動物性タンパク質、
美味しいもの

これらを、ぜーんぶ神様に捧げます。

基本、ご飯軽く一杯とわかめ青菜系お味噌汁しか食べてません。



結果は十年後のお楽しみ💕です。

でもね、わたしにとっての十年後の幸せとは、

こどもの人生の発展

正直、これ以外に思いつきません💦

わたしがいくら著名人になってても、こどもが幸せでないなら、わたしもちーっとも幸せじゃないし。

逆に、わたしがよれよれで、なんなら死んじゃってても、こどもが大発展してればそれで幸せです(^ω^)

わたしは、もう神仏に親しむことと、こどもの発展を望むこと以外の願い事を持とうと思いません。

ときどき、私利私欲系の欲望が沸くけど、それがあると神仏パワーが体に浸透しないので、極力抑えるようにしてます。

神々とのやりとりも、

「どうかわたしに、神様のお手伝いをさせてください」

ということに落ち着いて来ています。