これまで数え切れないほどのピンチを
乗り越えたり、乗り越え切れなかったり してきた僕の昔話を聞いてくれ。
それは、小学校2年生の遠足の日だった。
おそらくは立花山に登ったのだろうし、おそらくはおやつは300円まで。
さらに、バナナはおやつと見なさない、ということだったように思う。
おそらくは、帰国 間もない時期で
自分の名前も漢字で書けない無力感からスタートしているくせに
周りから見れば英国からの帰国子女という、これまた博多では鼻持ちなら無い存在としてデビューしたわけだ。
とにもかくにも、無事に遠足から帰ってきて、
あまりの鍛錬遠足に喉もカラカラ。俺は、転校間もない不慣れな教室の中で
自分の席の水筒を、存分に飲み干した。
遠足から帰って、掃除か何かをしたあとで、やっと許された給水だったように思う。
お母さんが博商で買ってくれた水筒の麦茶を、開放感に浸りながら飲み干した!
そこからはスローモーションのような記憶だ。
俺が、自分の水筒だと思って飲み干したのは、クラスのガキ大将=番長の水筒だったんだ!
番長という言い回しも古いが、水筒を間違うこと自体、古い筋書きだ。
まるで、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のマーフィーみたいに
ビフの水筒を飲み干した俺は、焦りに焦った。
博商で買った水筒、なぜに同一製品!
ちくしょう!こんな水筒やら すかん!
これまで目の当たりにしてきた皆と同じく、俺も今日が命日か!
掃除時間に片ひざをついて塵取りでごみを受ける俺を、いつも奇異なものでもみるように見ていた彼は、
黙って見逃してくれた。
長い行軍で疲れて乾いていたのは、彼のはずなのだけれど。
これまで多くのやつらが、彼にぶちのめされていたのをしっている俺は、
ぽかんとしたあとで、助かった、と正直思った。
その後も、彼とは楽しいことや一波乱あるのだけれど、
とにかくその場は納まった。
ピンチというと、あの「鍛錬行軍のあとの水筒間違え事件」を思い出しては、
なんだか嬉しいような、恥ずかしいような、照れくさいような、懐かしい気持ちに浸るのだ。
柏木よう、お前も忘れるはずないばい。
かっしゃん、また機会があれば会おうたい。
もう、俺らも折り返して久しいばい。
心の奥底に、忘れ得ない大切な場面があるものです。
そのときの友達に、今は感謝して、そして会いたか!