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日本の教育もそろそろ変わらねばなりません。
資源のない日本で注力すべきは教育です。
優秀な人材が前例踏襲職場で、チャレンジ機会を奪われて疲弊していくのは国力低下につながります。
チャレンジする力、創意工夫する力、多様性から新価値を生み出す力こそ必要です。
評論家づらして、人のモチベーションに水をさす卑怯者を、変えていくような教育こそ必要です。
自己肯定感を保てない卑怯者にこそ、可能性を教えてあげなければいけません。
弱い人間にこそ教育は必要です。教育が届けば、モチベーションが生まれ、他人軸の承認欲求は薄まります。
そうなることで、ようやくmatureな人間として自立できるようになります。
人は本来助け合いたい。人は本来よりよくしたい。本来の気持ちに還ること。元の気に戻ることが元気。
“Dream can do, Reality can do”
機会平等であって、結果平等を求めてはいけない。人を活かす。
理想は目印。届かなくてもいい。方向を確認するための指標。
以上、備忘録。
家系で言えば、
もう一年くらいで生を終える年頃。
これまでの点がつながる猶予もわずか。
思惑とは別に、もっと永らえるかも。
親や、祖父母とは違って、
思いのほか永らえることもあるかも。
ならば、余命。
ならば使命を果たしてこそ。
使命=命の使いみち。
授かったからには、ちゃんと。
声も、表情も、
歌っているところも、話していることも、
プロポーションも、髪形も、
コーデも、こだわりも、
怒るところ、笑うところ、和むところ..
感じるシンパ..
暮らせるかも、と思うほど
好き!
この気持ちを、
もっと手放しに暴走させたら、
過去を全部捨てて、
明日に賭けてしまうかも。
あなたは、こわい人。
これからの時代は、今まで以上にパラダイムシフトが早くなると言われています。
スマートフォンが世の中に登場して十年ほど。
情報や流通小売りのタッチポイントも移ろって、ユビキタスなんて言ってた時代が大昔のように感じます。
東京2020が過ぎた頃には、もう今とはまるで違う景色が開けているのだと思います。
次世代移動通信も5Gになり、副業が当たり前になり、リカレント教育が進化して、
個人も複数の個性を活かしながらレバレッジを掛けていく。
ひとつの企業への帰属意識も薄らいで、ホワイトカラーが担っていた作業的な仕事はAIが担って。
貨幣や紙幣も不要になって、金融人材も省力化できるようになります。
人は本来の創造的なことに専念して遊び続ければ、これまでと同等のGDPを生み出すことができます。
世界で初めて人口減少社会を経験する日本は、一番先に経験値をストックできる優位性を得ます。
中国などは、数億人規模の失業を恐れて、全てをAI化せずに人の働き場所を敢えて保留しています。
ならば、この分野でも先行できるではないか。
実に面白い時代に入ってきたし、その過渡期に人生百年時代の半ばを生きています。
医療も、AIも、通信も、モビリティもわずか数年で変化していく面白い時代です。
例えば、マスコミュニケーションのような古い仕組みの上に成り立っていた
アドバタイジングのようなビジネスモデルはもう立ち行かないでしょう。
しかし、モチベーションを喚起するためのコトバや写真の世界は普遍的だし、人間かAIか誰かが担わなければなりません。
認知と行動を研究しながら、ナッジを利かせてアフォーダンスすることは永遠になくならない技術です。
アドバタイジングを極めた人たち、追究してきた人たちこそ、次の世界が求めているのではないかとも思います。
これからますます表層では通用しない面白い時代になるといいなと期待しています。
本質を見極めることこそ、この世界をもっとファンタスティックな方へ導いていけるのだから。
あなたが今、思っている成功や幸せが、
人生を終える時と違っていることは、有り得ます。
ほんとに、それを求めているのか?
それが自分の根っこからの本心なのか?
人の可能性は、他者との出会いからしか生まれない。
幸せになりたければ、
他者を気にせず自らの足元を掘れ。
しかし、そのスコップは他者からしか授かることが出来ない。
このことに気付くのに随分時間が掛りました。
理論的にはあと40年ほどの余命。
元気でやれるのは、よくて15年。
だったら後悔しないように、あのやり方をやるのです。
これに関しては、勉強も実体験もしてしまったので無敵です。
せめて、少し距離のできたあの人と、少し時間を共有しておきたい。
決して、私も長くはないのだから。
しけとうね。
博多モンなら絶対言われたくない言葉。
男として、人として、つまらない、ダサい、という言葉。
九州にはこんな価値観があるからか、
人のせいにしたり、横取り割り込みしたり、陰口をたたくような人は少なかった。
みんな自分勝手で忖度などしないが、それぞれを尊重するから牽制ややっかみもない。
小粒な男を見ると、ほんとうに気色悪そうに、「おまえ、しけとうね」と言い捨てたものだ。
意外なのは、関西が忖度文化ということ、東京のほうが骨がある。
日和見したいなら、群れて日和見すればいいと思う。
例えば、大阪を変えてきた骨のある男たちは、みな地方出身者なのだ。
五代にせよ、中馬にせよ、、、なんだ、九州男児かよ。
ほんとうに、つまらん話よ。