未知の分野への挑戦
だれも教えられない。自分で切り開くしかない。
 
未知に挑戦しなければ、既存の繰り返し。
そこには創意工夫は要らない。価格差別しかできない。
同じものを大量生産できることでスケールメリットが出せて安価供給できる時代は、
規模の大小が物を言った。
 
だれかが考えた1を、10や100にするなら機械でいい。
0を1にする仕事は人にしかできない。チャレンジは人間だけの特権です。
 
これからの世界は、
0から1を創る仕事が求められます。
だからこそ未知の分野へ挑戦が必要です。
人間である以上、本来だれもがその資質を持っています。
しかし、後天的な教育によって、先回りして考えるようになり、やりもせずに諦めてしまいます。
 
お金や時間や頭の良さがなければできない、と山ほど言い訳をさがします。
できる方法を探さずに、出来ない言い訳を探すんです。
 
できるかできないか、は関係なくて、したいかしたくないか、が全てです。
できないかもしれない=できるかもしれない。心の向きが±の違いだけです。
 
勇気がない人ほど、チャレンジしないための言い訳を探して、他人も引きずり込もうとします。
その考え方では、だれの役にも立てなくなります。いずれ必要とされなくなります。
チャレンジするテーマに気付けなかったりチャレンジしない人は、要らなくなります。
チャレンジしない臆病者は目の前の金に頼ろうとします。一番下手な金との付き合い方です。
 
一番いい投資は、知恵と食事です。
貨幣価値は変動するけれど、血肉にしてしまえば失うこともありません。
強い体や考える力があれば、今日明日を生きる力に変わります。
 
現在の評価は気にする必要はありません。
今は過去の結果だからです。大切なのは、明日です。未来です。
今なにに時間やお金やエネルギーを投資するか。
人と同じことをしていては大成しません。他人と自分は違うからです。
この考え方を、マーケティングと呼びます。
 
マーケティング的な、科学的な考え方ができるようになると、
他人の評価は気にならなくなります。
他人の評価は絶対ではないし、それで自分を評価することは非科学的だからです。
極論すると、現時点で数値化できることは、ほとんど気にしなくていい、ということです。
なぜなら、今の評価指標自体、将来変わる可能性が大きいからです。
 
今知らないことや今できないことは問題ではないということです。
知ればいいし、できるようになればいいだけだからです。
本当に未来が危うい人とは、他人軸でしか自分を評価できない思考停止人間だけです。
クリエイティビティに挑まない人は、永遠にブランド品を買い続けるしかないんです。
 
前例がないことは意外とラッキーです。
前例がないおかげでとてもクリエイティブになれるからです。
前例踏襲していては永遠に新しいものは創れません。

 

日本の教育もそろそろ変わらねばなりません。

資源のない日本で注力すべきは教育です。

優秀な人材が前例踏襲職場で、チャレンジ機会を奪われて疲弊していくのは国力低下につながります。

チャレンジする力、創意工夫する力、多様性から新価値を生み出す力こそ必要です。

 

評論家づらして、人のモチベーションに水をさす卑怯者を、変えていくような教育こそ必要です。

自己肯定感を保てない卑怯者にこそ、可能性を教えてあげなければいけません。

弱い人間にこそ教育は必要です。教育が届けば、モチベーションが生まれ、他人軸の承認欲求は薄まります。

そうなることで、ようやくmatureな人間として自立できるようになります。

 

人は本来助け合いたい。人は本来よりよくしたい。本来の気持ちに還ること。元の気に戻ることが元気。

“Dream can do, Reality can do”

 

機会平等であって、結果平等を求めてはいけない。人を活かす。

 

理想は目印。届かなくてもいい。方向を確認するための指標。

 

 

 

以上、備忘録。