今日は娘が生まれて100日目(誕生日を1日目とカウントして。誕生日を0日目とすると、本来であれば明日が100日目ということになります。)、百日(ももか)祝い、所謂お食い初めを自宅で行いました。都内に住んでいる義姉がかけつけてきてくれて、前日から我が家に宿泊していた義姉と私の家族のあわせて6人(娘も入れて)で行いました。




尾頭付きの鯛の塩焼きは、瀬戸内海産のものを事前に通販で購入。赤飯は電子レンジでできるものを、ハマグリのお吸い物はパックになっているものを、それぞれ事前に買ってありました。そして、きんぴらごぼうと筑前煮(我が家の定番メニュー、筑前煮は冷凍食品の野菜で作ることがおおいです。)、特別に買ってあった梅干。


一汁三菜が揃いました。食器セットは、漆器の正式なものではなく、お宮参り(初宮参り)のときに神社からもらった離乳食で使える食器セットを使うことにしました。鯛の塩焼きの通販セットの中に歯固め石が同梱されてあったので、儀式はこれで執り行うことができます。




お母さんや義姉たちが準備をしている間、私は煙草を吸いながら、儀式にあたっての挨拶を考えていました。


そして本番。訳がわからないのは主役であるはずの娘。お母さんに抱っこされながら、まずは歯固め石を口につける真似。丈夫な歯が生えてくるようにとの願いをこめて。娘は石を舐めてまずそうな顔をしていました。


そして食事の真似。飯⇒汁⇒飯⇒魚⇒飯の順番がお作法だとされていますが、その作法通りに執り行ったかは、私も気が動転していたのでしょう。よく覚えていません。娘にとってははじめて口にする食べ物。そしてすぐに引っ込められてしまうので、なにがなんのことやらさっぱりわからなかったでしょう。後々娘が成長したときに、こういうことをみんなでやったんだよと見せられるように、義姉がところどころで写真を取ってくれていました。娘自身はその時に、周りの人たちから愛されてこういうことをやったんだな、とわかってくれれば良いな、と思います。


肝心の挨拶は、締まりのないまま始まってしまい、しどろもどろになりながら、べらべらと喋っていたように記憶しています。やはり煙草1本分で考えた即席の挨拶は、ろくな挨拶になりません。点数としては30点くらいでしょうか・・・。未だに私はそのことで凹んでいます。会社を辞めて9ヶ月、その間に社会人として当然にできたはずの挨拶までできなくなってしまっていたか・・・。社会から離れているっていうのは怖いものだ、と感じました。




さりながら、この儀式、娘の健やかな成長と健康、長寿、食べ物に困ることのないように、という願いをこめたものです。私のつまらない挨拶はともかく、家族大勢で娘の将来が安泰であるように祝うことができたので、このこと自体はとても満足できました。




義姉は連休中に私の自宅に来ていて、明日より出勤なので、今日中に住んでいる実家に帰らなくてはなりません。育児休暇中のお母さんと娘はこの義姉に同行し、実家に向かいました。都内の義姉はお母さんたちを見送りに新幹線の駅まで同行してくれました。私とお兄ちゃんは近くのバス停まで見送りに行きました。




お母さんたちを見送った後は、私はお兄ちゃんと家でのんびり過ごしていました。晩ごはんは今日のお食い初めで使った材料の残りを、仲良く分けて食べました。




あわただしかったけれど、よかった、でも挨拶はいまいち、お母さんと娘はお母さんの実家に行ってしまうし、となんだか複雑な感情がたくさん残る1日でした。