4月にあった出来事としては2つあります。1つは、ジャイアンツの木村拓也コーチがクモ膜下出血でなくなり、その追悼試合を観戦してきたこと。もうひとつは、これまでめったに続きもののテレビを見ることのなかった私が、朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」を見るようになったことです。


あれは4月の2日だったでしょうか。自宅で広島球場のジャイアンツ戦をお母さんと観戦していたときのことです。放送が開始されて30分ほど経ったころ、木村コーチが胸を押さえながらグラウンドに倒れこむ姿が映し出されました。とっさに、「心筋梗塞でも起こしてしまったのか。」と思いました。ショッキングな映像はその後も続き、心臓マッサージを受けている姿、ストレッチャーで運ばれていく姿が次々に映し出されていきました。「大丈夫なんだろうか。」「何とか命だけでも助かってほしい。」 野球のことをあまり知らないお母さんが相当心配していました。その日の試合はジャイアンツが勝ったように記憶しています。

その後は毎朝、携帯のモバイルサイト(モバイルジャイアンツ)で球団広報が発表する木村コーチの容態を確認する日々が続きました。その情報から、木村コーチがクモ膜下出血で倒れたことを知りました。「予断を許さない」「奇跡を信じて・・・」と悲観的な記事が多く、自分の経験上から「水頭症になってしまったんだろうか。」などと考えていました。私は脳動静脈奇形の破裂による小脳出血の後、水頭症になってしまったらしいので(記憶がないので、聞いた話でしかないのですが。頭にはたくさんチューブがつけられていたらしいです。)、木村コーチも同じような状態なのかな、と想像していました。私の場合は奇跡的に命を永らえることができましたが、木村コーチの場合はそうはいかず、4月7日、亡くなってしまいました。

脳卒中というカテゴリーで分類すると、私の脳出血も、木村コーチのクモ膜下出血も同一。日本人の3大死亡原因に未だに挙げられているにもかかわらず、脳卒中に対しては、高額で受けなければならない脳ドッグでしか、発症のリスクを把握することができない。木村コーチは倒れる直前まで、グラウンドでシートノックをしていました。私は倒れる直前まで遊びに出かけ、トイレで用を足していました。前兆が何もないのですから、対策の打ちようがない。先述したように、脳ドッグを受けて、脳の血管に異常があるかどうかを確認するしか術がない。しかも、脳ドッグは高額で、会社や学校の定期健康診断や人間ドッグのように気軽に受けることができない。何とも悔しい病気です。

ワイドショーの情報によると、木村コーチの死後、脳ドッグを受ける人が急増したとか。37歳での死、あまりにも若すぎる。個人的にはもっともっとジャイアンツの若手に指導をしてほしかった。木村コーチのようなユーティリティープレイヤーを生み出していってほしかった、そう思うのですが、脳ドッグを受ける人が増え、脳卒中で亡くなる人を減らすことができたということも、木村コーチの大きな功績のひとつなのではないでしょうか。ご家族や関係者の皆様方は、そのようなことで簡単に死を受け入れることはできないとは思いますが。

とにかく、脳ドッグをもっと手軽な料金で、気軽に受けられるような制度設計をしてもらいたい。今の政府には何も期待できない(このようなこと事業仕分けでポイってされそうだし・・・。)ので、民間の団体でも、どこでも構わないので、3大死亡原因のひとつのリスクを低減してくれる、せめて事前察知できる方法を何か考え出してもらいたいです。私にはそのアイデアはありませんが。ちなみに、子供にはいずれ脳ドッグを受けさせるつもりです。いくら高額になろうとも。産科の先生から、脳動静脈奇形は遺伝するものではない、との意見はもらってはいるのですが、親としては本当に遺伝していないか、100%発症のリスクはないのか、心配でなりません。まあ、1歳にもならない子供にMRIを受けさせるわけにもいかないので、MRI検査に耐えられる年齢になったら受けさせるつもりです。(中学・高校生くらいで間に合うのでしょうか。ブログを拝見していると、10代で発症した方もいらっしゃるとのこと。心配でなりません。ついでに、10歳くらいでも抵抗なく受けられるMRI検査の技術向上も求めたいです。)


木村拓也コーチの追悼試合は4月24日に行われました。当日は東京ドーム前に献花台が設けられ、私も献花をしてきました。「今まで数々のプレーを見せてくれてありがとう。楽しかった。うちの家族みんなが木村コーチの死を悼んでいます。安らかにお眠りください。」的なことを心の中でつぶやきました。


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オーロラビジョンには選手時代・コーチ時代の木村コーチの雄姿が繰り返し放映されていました。写真はちょうど、昨年、ジャイアンツのキャッチャーが全員出場し、誰もいなくなったときに、自らキャッチャーマスクを被ったときの姿です。

献花台は大行列でした。試合開始2時間ほど前に東京ドームに着いたのですが、献花台に並ぶだけでおよそ40分。それだけの人が木村コーチの死を悼んでいるのでしょう。すばらしい選手でありコーチであったと思います。


試合は弟と観戦しました。ところが弟がなかなか来ない。追悼試合ということもあり、外野の立見席でもいいから入場しようという人・人・人で、なかなか入場できない。やっと弟がやって来たのが試合開始30分前。東京ドーム内で行われるという追悼セレモニーがまもなく始まろうという時間でした。そこから入場するのに20分ほどかかりました。残念ながら、追悼セレモニーは最後のほう、少しだけしか見ることができませんでした。


ジャイアンツのピッチャーは西村健。ピリッとしませんでした。四球が多く、見ていていらいらするような場面が多く続きました。打線も湿りがち。なかなか点を取ってくれません。カープに先制され、その後追いつき、逆転するも、また追いつかれ、逆転されて、「せっかくの追悼試合、このまま負けで終わるのか・・・。」とあきらめかけたその時、


後から聞いたのですが、木村コーチと同級生の谷。試合は1点リードされて迎えた8回の裏、1アウト満塁の絶好の機会に代打で登場。そして、放たれた打球はわれわれが観戦していたレフトスタンド中段へ。逆転の満塁ホームランでした。まさかまさかの展開に、弟と、そして前の席にいた知らないおばさんと握手握手。弟とは思わず抱き合って喜びました。その後、もう1本ホームランが飛び出し、セーフティーリード。最後はクルーンが締め、ゲームセット。8回裏からの怒涛の攻撃、鮮やかな逆転勝利でした。
ヒーローインタビューは逆転ホームランの谷。お立ち台で泣いていました。木村コーチの為の大事な試合という思いもあったのでしょう。


見えづらいですが、当日のスコアボードです。
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木村コーチ、脳卒中、書きたいことはたくさんあるのですが、あまりに長文になってしまったので、この話はこれくらいにしておきます。


4月から我が家の生活で変わったことがもうひとつ。これまで続き物のドラマが余り得意ではなかった私なのですが、放送開始から今日まで、日曜日を除いて毎日欠かさず、NHKの朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」をお母さんと見るようになりました。ゲゲゲの鬼太郎の作者水木しげるの奥さんが書いたエッセーが原作のドラマ。放送開始当初は、放送時間がそれまでの8時15分から8時に変更されたこともあり、あまり評判はよくなかったようですが、ドラマ自体の面白さに引かれ、今日まで欠かさず見ています。オープニングのいきものががりの「ありがとう」の歌、娘が気に入ったようで、それが流れ始めると、娘は食い入るようにテレビに釘付けになります。娘はいきものがかりが好きなのかもしれません。それともほぼ毎日(日曜日を除いて)見ているので、親近感が沸いてきたのでしょうか。これまで、山口百恵のCDやサザンオールスターズのCDやらをテレビで再生して聞かせてはいるのですが、反応はいまひとつ。新聞や絵本を読んでやっても、途中で飽きてしまう娘が、わずか1分ほどの朝の歌には、めずらしく興味津々なのです。

ドラマ自体も結構楽しんでいます。お母さんが勤めに出るようになってからは、録画したものを帰宅後に再生してみることが多いのですが、毎日の楽しみになってきています。夫婦そろって。

朝の連続テレビ小説は9月まであるので、今年の夏も、初秋も、楽しみです。