脳動静脈奇形の破裂による小脳出血、大病をしました。あれから3年半以上も経ちますが。

ざっくり言えば、身体の自由を失いました。小走りから先、走ったり・飛んだり・階段を駆け上がったりができなくなりました。自分の頭で考えたことを考えた通りに喋ることもできなくなりました。字を書くことも、思い通りにはいかなくなり、時間を要するようになりましたし、第一、字が汚くなりました(こんなことで、メンタルヘルスマネジメントⅠ種試験の論述問題が解けるのか、心配です。)。頭の回転が遅くなりました。記憶力が悪くなりました。集中力が大分失われてしまいました。物を見る時はよっぽど注意して見ないといけなくなりました。重いものが運べなくなりました。コーヒーや汁物のお椀を運ぶことが出来なくなりました。等々、挙げるとキリがありません。


仕事も失いました。前に就いていた仕事は、障害を抱えたまま業務に臨めるほど甘い仕事ではありませんでした。仕事を失い、失業保険を受給するようになり(障害者になったおかげで、受給日数は増えましたが。)、前職でそれなりにいい給与をもらっていたので、たちまち生活に困窮するようになりました。その為にお母さんが働きに出てくれるようになりました。そして何より、仕事を失ったという事実は私から自信を失わせてくれました。


得られたものもあります。特に仕事を辞めてから、辞めたことによって平日に時間が出来て得られたものが多いです。

まずは障害者手帳。障害者の認定を受けたのは、仕事を辞めて、以前入院していた病院に診断書を書いてもらってから、役所に申請にいったので、仕事を続けていれば恐らく、障害者の認定を受けることはなかったでしょう。

その時、役所の方に勧められたのが、自立支援医療制度の活用でした。精神科の通院が続いていたので、制度を使って、健康保険を使用しての3割負担が自立支援制度を活用することにより1割負担に軽減したのは、経済的に困っていた私たちにとっては大変ありがたかったです。

障害者になったことと平日に時間が取れるようになったことにより、リハビリテーションセンターへの通院が可能になりました。昨日の記事に書いた「チーム哲郎」が組まれたのは、昨年初めてリハビリテーションセンターの医師の診察に行ってからのこと。これから先、振り返ることがあったとしたら、このリハビリテーションセンターの人々、関連する施設の人々との出会いが財産になったと思うことでしょう。

障害を抱えたことによる人との出会いはまだあります。障害者のゴルフ協会に入会したことも大きいです。平日にゴルフレッスンに通うことも、コースをまわることも、会社に勤めていたらできなかったことです。

仕事を辞めていなかったら、資格試験の勉強やTOEICの勉強に時間を費やすこともなかったでしょう。それなりに愛着のあった前職の仕事でしたが、本当に自分がやりたかったことだったのかは、最近よくわからなくなってきました。自分のやりたいこととは何か、その前提として勉強したいこととは何か、考えさせてくれるきっかけになったのは、障害を持ち、その為に会社を退職したことです。

やたらめったら資格の勉強をしている面もあるのですが、自分のなりたい方向を見つめる契機にもなったと思っています。やりたい勉強を一通りやり終えた先、一体どんな自分になりたいのか、そこまでの結論はまだ見出せていません。英語が喋れるようになって、いろんな資格を身につけて、その先、どんな自分になろうとしているのか。もう少し考えたいと思っています。


やりたいことを自由にやることが出来る時間は今年いっぱいまでかな、と思っています。さすがに離職している期間が長すぎると、次の就職に悪い影響を与えそうです。また、長い目で見て、経済的に厳しくもなってきています。短期的にはあと数年は生活していけるのですが。娘が誕生し、今後、習い事やらおもちゃやら進学やら、お金がどんどん必要になってくるでしょうから。


失ったものは失ったもので大きかったけれど、新たな人との出会いや自由な時間など、かけがえのないものもたくさん得られたかな、そう思います。

失ったもの、得られたもの、まだまだいっぱいあるのでしょうけど。今、思いつくのはこれくらいです。

ちなみに・・・

毎日、勉強しています。メンタルヘルスマネジメント試験とSPI試験に向けて。明日くらいにはTOEICの通信講座も届くでしょうから、そちらの勉強も教材が届き次第はじめていきたいと思います。再就職のための準備としてのSPIですが、それ以前に考えておかないといけないものたち(履歴書や職務経歴書・志望動機・自己PR)なんかも、ボチボチ考えていきたいです。