ご無沙汰してます。
娘は1歳2か月を過ぎました。
昨晩は、そんな娘に慰められた出来事があったので、「これは記録に残しておかないといけない。」と思い、携帯から記事を投稿します。

私は、(再)就職活動を1週間前から始めました。応募職種、これまでの私の経歴から判断して、書類選考は楽々通過し、恐らく面接には辿り着けるであろうと考えていた企業1社に応募書類を出し、選考の結果を待っていました。きっといい知らせが来るだろうと、待ち望んでいたその企業から、昨日、不採用通知が来てしまいました。
がっくり、しました。現実の厳しさ(現在の経済情勢の厳しさ、雇用環境の厳しさ、離職して1年9か月になる自分自身の境遇に対する厳しさ、などなど)に唖然とする一方で、自身の就職活動に対する認識の甘さを痛感し、今後の活動への戦略を練り直さなければという思い、それにしてもどのように就職活動をしていけばいいのだろうかという思いが交錯しました。ひとりなら、一晩中泣いて、泣いて、泣いて、何も気がつかないんだろうな、なんて思いました。
お母さんにも、こどもたちにも悟られないように、平静を装っていましたが、お母さんにはばれてしまいました。せめてこどもたちには気づかれないようにと、平静を装いながら、娘を寝かしつけようと、お母さんと娘と3人で布団に横になったときです。私がただならぬ空気を醸し出していること、娘が察したのでしょうか。横になっていた娘が突然起き上がり、音楽の出るおもちゃの方へハイハイし、音楽を鳴らし出したのです。ひとしきり音楽を鳴らした後、娘はお茶の入ったまぐまぐを持って歩いてやって来ました。そして、自分でお茶を少し飲んで見せて、私に「どうじょ。」と言って、まぐまぐを差し出しました。私が何もできないでいると、娘はもう一度自分でお茶を少し飲んで見せて、私にまぐまぐを差し出したのです。「ああ、これは私にお茶を飲みなさいって言いたいんだな。」と読み取った私は、娘が差し出してくれたまぐまぐを受け取り、お茶を一口飲みました。娘にまぐまぐを返すと、娘はもう一度私にまぐまぐを差し出しました。「まあ、お茶でも飲んで落ち着きなよ。」とでも言ってくれているかのようでした。私がもう一口お茶を飲んだところで、まぐまぐからお茶がなくなりました。娘に空になったまぐまぐを返したところ、娘はまぐまぐを机の上に置きました。
たったこれだけの一連の動作、偶然かもしれませんが、娘が何かを感じ取って、意図的に行動したように思えてなりませんでした。そして「この子は優しい子だなあ。」と、わずか1歳ちょっとの娘に感激しきりでした。

明くる朝、台所で私が煙草を吸っていると、娘がよちよち歩きながら私の方に寄ってきて、いきなり私が差し出した手を叩きだしました。何度も繰り返した後、台所に置いてある娘がお気に入りの食材を私に手渡してくれたのです。今朝のこの行動、娘には何の意図もなかったのでしょうが、私にはそれが、「お父さん、元気出しなよ。」と励ましてくれているように思えてなりませんでした。
ここまで来ると、さすがに親バカだと思いますが、娘の昨日からのこうした行動の数々にとても救われたような気がしました。

娘よ、ありがとう。お父さん、めげないでがんばるからね。

今回の一件では、お母さんも私のことを励ましてくれました。そして私の父も。私はいい家族に恵まれた。心からそう思います。ちょうど昨日は祖父母の墓参にお母さんと娘と私の3人で出かけてきたところでした。娘の優しさと芯の強さは(娘にとっての)ひいおばあちゃん譲りなのかしら、なんて思いました。
お母さんにも娘にも、父にも祖父母たちにも、私は恵まれました。私のことを慰めて元気づけてくれる家族。私は早く真っ当な仕事に就いて、私を励ましてくれた家族に恩返しがしたいと強く感じたひなまつり、その翌朝でした。