東日本大震災が発生し、被災地の悲惨な光景が映像としてお茶の間に流されている中、また福島第一原発の事故で首都圏の電力事情がままならない状況となってきた中、節電だ、物を買い占めるな、花見イベントは自粛だ、プロ野球の開幕は延期だ・・・、などなどと、世間では必要最小限以外のものに対して緊縮ムードになってきている中、あまりにも不謹慎すぎるのではないかと迷いはしましたが、決行しました。


先週末、偶然お母さんの仕事が休みだったこと(しかも来月は土日の休みがないとのこと)、お兄ちゃんが春休みだっていうのでお母さんの実家に遊びに行っていること、このご時勢だから観光地は空いているのではないかといったことなどを総合的に考えた結果、旅行に行くことを決意しました。


娘が誕生して1年3ヶ月ちょっと。実はこれまで、私は娘と旅行したことがありません。娘との待望の初旅行です。


しかし、先述の通り、世間は贅沢ごと緊縮ムードが漂っています。被災地の皆さんのことや電力不足で困っている私たちを含めた首都圏の人々のことを考えると、旅行などという贅沢をしていいものかどうか、悩みました。


そこで、旅行はするけれども、私とお母さんと娘だけの秘密。お母さんの職場にも、娘の保育園にも、お兄ちゃんにも、ご近所さんたちにも、内緒の旅行をすることにしました。


行き先は、箱根。


お母さんと結婚する前、お母さんと2人っきりで過去2回宿泊しているホテルを予約しました。


部屋で夕食・朝食が取れて、部屋に露天風呂と内湯がついている、それなりに高額な部屋を当日になって押さえました。


1歳3ヶ月の娘と温泉旅館に行くにあたっては、食事や入浴で他の宿泊客に不快な気分にさせたり、迷惑をかけてはいけないといった現実的な問題をクリアしなければならないということのほかに、娘との最初の旅行ぐらい少しぐらい贅沢にしよう、との思いがあり、そうした部屋を予約することにしました。


娘よ、君とお父さんの初めての旅行は箱根で、部屋に露天風呂がついている、いいお部屋だったんだよ。




箱根へは私の運転する車で向かいました。お母さんの仕事中に、車を洗車し、ガソリンを満タンにして、準備万端。お母さんの仕事が終わる頃、私が2人をお母さんの仕事場・保育園まで迎えに行き、そのままお母さんと娘を拾って、箱根へ向かいました。高速道を使っておよそ1時間半の道のりでした。


節電の為、途中の東名高速と、特に小田原厚木道路は照明がほとんど消えていて、真っ暗でした。


途中、パーキングエリアやコンビニエンスストアに立ち寄ることもなく、ノンストップでホテルに向かいました。




チェックインすると、ホテルの従業員が一言、


「震災の影響で、お部屋出しの食事の予定だったのですが、夕食はホテル内懐石料理屋の個室で、朝食は洋食レストランのバイキングでお願いします。」。


やむを得ません。震災の影響というところに最初はピンときませんでしたが、このご時勢で宿泊客が大幅に減り、調理員さん含む従業員さんが少なくなっていたのでしょう。また、ガソリンもなかなか入手できないので、出勤したくてもできない従業員さんもいるのでしょう。OKしました。朝食のバイキングで娘が周りの宿泊客に迷惑をかけないか気になりましたが、夕食は個室とのことだったので、娘が多少ぐずっても、なんとかなるだろうと、即断しました。




お部屋に通されると、それが私の想像以上の広いお部屋でした。和室2部屋に風呂・トイレ・玄関で20畳くらいはあったのではないでしょうか。トイレは男性用のトイレと男女兼用のトイレの2つもありました。喫煙できるスペースもあったりして。ずいぶん広いお部屋でした。初めて入るその部屋に、私もお母さんも感動しきりでした。娘はとても戸惑っていました。柱をぎゅっと抱きしめ、不安そうな表情でお母さんを見つめていました。お母さんがトイレに行くと、広い部屋で取り残されたと思ったか、突然大きな声で泣き出しました。大人でも広く感じる部屋、1歳ちょっとの娘にはさぞかし広く感じたことでしょう。お母さんがトイレから出てきて、部屋のテレビをつけてしばらくして、彼女はようやく落ち着きを取り戻しました。




ホテルの懐石料理屋の個室で夕食です。娘は靴を履いて、歩いて懐石料理屋まで行きました。




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見づらいですが、これが当日のメニューです。過去2回宿泊した経験があるので、このホテルの食事が豪勢なのは知っていました。お母さんの好みと、娘が食べられるように配慮し、我々は牛肉のしゃぶしゃぶを選択しました。


娘はお母さんの膝の上で、私はその正面に座り、食事が始まりました。食前酒(お母さんは授乳中ということもあり一口だけでした。)、ふぐやマグロの刺身、酢の物などは大人だけで食べたのですが、しゃぶしゃぶや鶏肉のお吸い物、魚の蒸し物、ご飯、味噌汁、お茶などはお母さんの分をほとんど娘が平らげてしまいました。食後のフルーツ・デザートはさすがにお腹いっぱいで入らなかったようですが。娘用にもう1人前頼んでもよかったかもしれないなあ、と思いました。娘がお母さんが食べているものを次から次に欲しがる(それを見て私もお母さんや娘に自分の食事を分けてあげる。)ので、私とお母さんはおいしい食事だったのですが、それを堪能した気分になかなかなれませんでした。それでも私はそれなりに食事を堪能したのですが、お母さんは最後まで、食事を十分に楽しめなかったようです。次、旅行に行く時は、娘の分も食事を用意しなければと思いました。おいしいものをお腹いっぱい食べられて、娘はとても満足した様子でした。


食事が終わって部屋へ帰るとき、娘はとてもご機嫌で、懐石料理屋の中をどんどん1人で歩いていき、靴を履いた後は、仲居さんに何回もタッチしていました。




部屋に帰ると布団が敷いてありました。あとは、お風呂(温泉)に入って寝るだけです。




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(写真は翌朝撮影したものです。)大人が足を伸ばしてもまだ余裕があるくらい、大きめの湯船。これは露天風呂です。この他に木(檜?)でできた内湯がある、広いお風呂でした。まず我々は内湯の湯船に入りました。内湯の湯船に温泉をいっぱい入れてお母さんと娘と3人で入ったところ、娘が足を底につけると顔を出して温泉につかれないほど温泉のお湯がいっぱいたまっていました。露天風呂なら娘が足を底につけて顔を出して温泉につかれるのではないかとの判断で、3人揃って露天風呂につかることにしました。露天風呂、熱すぎるかなと思いきや、娘にとってもちょうどいいお湯加減。3人揃って箱根の湯を堪能しました。




大人は娘が寝てから、改めて温泉を楽しむことにして、3人揃って布団に入ることにしました。22時を回っていたので、娘がすぐに寝てくれることを期待して、布団に入ったのですが・・・。娘がなぜか大興奮。部屋に入った時はあれほど緊張しまくってお母さんの姿が見えなくなると泣き出したほどだったのに、広い部屋をどんどん歩き回り(さまよい歩き)、床の間の上でダンスをはじめるわ、テーブルの上のお菓子に手を出すわ、大人用の座椅子に腰掛けてニコニコ笑い出すわ、機嫌よく言葉にならない言葉を喋りだすわ、手がつけられない状態になりました。私は直接は見ていなかったのですが、床の間の上でのダンス、お母さんの前で大はしゃぎだったようです。ぐるぐるどっかーんを踊っていたんだったっけ。お母さんと後から話したのですが、食事の時にお母さんが口をつけた食前酒、あれがお母さんの血液を介しておっぱいに混ざり、アルコールを間接的に娘が摂取してしまったのではなかろうか、酔っ払いみたいになって娘はあんなに大はしゃぎしてしまったのではないか、ということになりました。




娘はなかなか寝付かず、眠りに落ちたのは23時30分過ぎ。私とお母さんはそれからもう一度温泉を楽しみ、次の日(この前の日曜日)の予定を立てて、ようやく眠りにつくことができました。それが夜中の1時30分頃。




娘が食事に、温泉に、部屋でのダンスなどなど、大いに楽しんでくれたので、この時期に不謹慎ではと悩みはしたものの、温泉宿のチョイスは良かった、と感じました。私とお母さんは、食事も温泉も十分に堪能できたというわけではなかったのですが、それなりに楽しむことができました。また、泊まりたいホテルでした。できれば今度は部屋食で。




次の日は、朝食を取って、チェックアウト後、車で元箱根の方に移動し、箱根園と箱根神社に行きました。


そのことは、次のブログで書きます。