体調の悪い中、実の父と数年ぶりに会いました。父の東京出張のついでに横浜に寄ってもらい、待ち合わせて夕食をともにしました。

私の入院中、当時お付きあいをしていた今の妻と実の母とのいざこざから、母とは絶縁状態になりました。以来、表立って父と会うことはできなくなりました。

母と絶縁状態になってから、結婚式も新居への引越も娘が生まれたことも、父へは全て電話での事後報告のみ。電話は父が会社からかけてくるのを待つのがほとんど。なかなか連絡が取れなくなってしまっていました。私が倒れる前は、月に1度以上ゴルフをラウンドするほど頻繁に会っていたんですが。

今回の父の上京には大きな意味がありました。父は勤務先の会社でまもなく常勤でなくなるため、今回が最後の出張になるのです。会社の用事を理由にした上京は、今後一切できなくなります。そのため、会社の用事の合間で私と会うことは、今回が最後になります。母との関係上、表立って父と会うことができないので、今回会った後は生涯会えなくなる可能性すらあります。

父に会えるのが最後、となったとして、私は何をしたらいいか、どういうスタンスで臨めばよいか、考えました。そうした時に、今の悩みを伝えて助言をもらうのではなく、ここまで育ててもらったことへの感謝の気持ちを伝える、父にとっての初孫である娘を一目見てもらう、今回の会合はこの2つに尽きるな、それがせめてもの親孝行になればいいな、というところに至りました。

確かに現在、転職活動に失敗しひどく悩んでいます。でも、これが最後かもしれないという会合にそんな些末なことを持ち出すべきじゃない、もっと大局的に考えて後悔のないようにしたい。私の心は固まりました。

ただ、父が娘と会ったということを母が知ってしまったら、とても落ち着いた気分ではいられないでしょう。絶縁状態になっている子供の娘と会った、母の性格からして、とても許されることではありません。また、父は隠し事のできない性格。もし仮に母から追及されたら、言葉にださずとも、態度にでてしまうであろうことを、私も父自身も心配していました。実際、過去に父が上京した折、娘に会ってもらおうとしたことがありましたが、母にばれたら困るとの理由で拒否されたことがありました。今回も断られるかもしれない、でも私が勝手に邪推して父と娘が生涯一度かもしれない会える機会を潰してしまってはいけない。でも、その日仕事があったお母さん(妻)が娘を連れて待ち合わせ場所に行くのには少々無理がありました。

一応、お母さんに話をし、やっぱり諦めよう、としていたのですが、当日の朝、お母さんから、仕事が終わり次第タクシーを使って仕事場から待ち合わせ場所に直行してくれるとの申し出がありました。但し、父に娘との面会を断られたら、そのまま帰宅してもらうかもしれないことも伝えました。

夕方、私の仕事が終わった後、父と会いました。数年経っていましたが、父は以前と変わらなく見えました。元気そうでよかった、そう思いました。

他愛のない話、転職活動の状況などを報告した後、私から話を切り出しました。

「今日、○○(娘)に会ってほしい。もう、△△(お母さん)と一緒にこちらに向かっているんだ。会ってもらっていいかな?」

あっさりと父は承諾してくれました。多少、「どうしようかな。」というような反応はありましたが、私のこうした申し出を事前に予期していたかのように、割とすんなり受け入れてくれました。

お母さんから、待ち合わせ場所のホテルに到着したとの電話が私に入り、父と私はお母さんと娘に会うべく、ホテルのロビーに向かいました。

実は娘だけでなく、お母さんも父とは初対面。私を中心に簡単な紹介と挨拶からはじまりました。

娘ははじめて会う「祖父」にとても緊張していました。軽く会釈し、小さい声で「こんにちは。」と言いましたが、すぐにお母さんにくっついて、離れようとしませんでした。

お母さんはお母さんで緊張していました。はじめて目にする父に、何を話せばよいかわからないでいるようでした。

父の提案で4人揃って食事をすることになりました。私は娘に一目会ってくれればそれでいい、と思っていたので、食事を共にするという父の提案は思いがけないものでした。折角なので、とお母さんもその気だったので、2歳の娘でも食事が可能なところを探し、バイキング形式のレストランに入ることにしました。

父がバイキング形式のレストランに入るのは、海外旅行先を除けば、私の記憶にはありません。なので、父にバイキングのシステムを教えるところからはじまりました。

娘は父の向かい側に座りました。チラチラ父の方を見たりするのですが、普段のようにしゃべりっぱなしになることもなく、お母さんと小声で話したり、黙々と料理を食べたりしていました。父が何度か話しかけると、返事をしたり、二言三言くらいで答えたりという感じでした。

大人たちはいろんな話をしました。私の幼少期のこと、クセや性格のこと、弟家族のこと、親戚のこと(「父方の親戚のところに遊びに行ってほしい。」と頼まれました。近所に住んでいるので、何かの時にはお互いに頼りにしてほしい、とのことでした。)仕事のことなど、広く浅くたくさんの話をしました。

「最初に私があなたにお会いしておけば、よかったのかもしれませんね。」
父がお母さんにそう言いました。

実の母とお母さん(妻)が直接会ったことによって狂ってしまった我が家と実家との歯車。お付きあいがはじまってしばらくして、父が最初の窓口になってもらい、当たり障りのない形で母との対面が実現していれば。もはやどうしようもないですが、悔やまれてなりません。

食事も終盤に差し掛かった頃、

「○○ちゃん、握手しようか。」

父が娘に手を差し出しました。

「やだ。あくしゅ、しない。」

娘はそう言いました。

「そうか。」

父は明るく言いました。私は是非握手してほしかったのですが、仕方ありません。初対面の祖父という存在。もう会えないかもしれない、ということはまだ娘にはわからないのでしょう。父が明るくしていたのが救いでした。もう会えないかもしれないという悲壮感は父からは全く感じられませんでした。それを感じ取った私は、これまで育ててもらったお礼を言うことをやめることにしました。父の考えにそぐわない、そう思ったからです。

せめて最後に握手くらいしてほしかった、そう思いながら店の外に出た時でした。先に店の外に出ていた3人が、娘を真ん中にして、手を繋いで歩いている姿が目に入ってきました。

最初は自分の目を疑いましたが、私の少し先には紛れもなく、父と娘が手を繋いで歩いていました。お母さんも交えて。

「ああ、よかった。」

心の底からそう思いました。今思えば、写真に撮っておけばよかった(その時、そんなことは思い付きもしませんでした。)、それくらい私にとっては感動的な光景でした。

父に初孫である娘を会わせることができた。満足に話はできなかったでしょうが、最後には手を繋いで一緒に歩くことができた。決して十分ではないが、親孝行できたかな、そう思います。


娘は家に帰ってから雄弁になり、

「おじいちゃん。○○ちゃんのおじいちゃん。」

と言っていました。

「おじいちゃんと会えてうれしかった?」

と聞くと、

「うん。」

と言ってくれました。

この日のこと、おそらく娘は忘れてしまうでしょう。話をしたこと、手を繋いだこと、一緒に食事をしたこと。娘には後からこの日のことを思い出せるものが何一つとしてありません。仕方ありませんが。

ただ、父の心の中には、娘のこと、お母さんのことが、深く刻まれていることと思います。私が亡くなった祖母の手の温もりを覚えているように、父にも娘の手の温もりを覚えていてほしいな、と願います。


あれから1週間近く経ちました。

昨日、娘が不意に、

「おじいちゃん。」

と言い出しました。

まだ覚えていました。そして、娘は自分に「おじいちゃん」と呼べる人がいることを認識していました。(ちなみに娘のもう一人の祖父、お母さんのお父さんのことは「じいじ」と呼んでいるので、「おじいちゃん」が父のことだというのは明らかでした。)

ありがたい、何故だかそう思いました。

ありがたいのは、まだあります。お母さんの決断です。お母さんは、私の実家と絶縁状態になっているにもかかわらず、父に会おうと行動してくれました。そして私の親孝行をアシストしてくれました。大変ありがたいです。

父とはもう会えないかもしれない。そう考えるととても切ないです。何か間違いでも起こって、父が単身で上京する機会がもしあれば、ぜひまた娘を、お母さんを会わせたいです。

私が父に会えたのは3時間ほど、お母さんと娘が会えたのは2時間足らず。話したいことをすべて話すことができなかった点で物足りなさを感じるなど、いろんな感情が渦巻きますが、総じていい会食でした。


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