5月1日。

さっちんを小学校で拾って大学病院に向かう。

パパの担当医と大事な話をするから静かに座っている事を約束して連れて行く。


我家は私達親以外さっちんを見る人がいない。

離れに義母が住んでいるが高齢の為、足腰が弱っているので週に2回デイサービスにお世話になっている。


もし、この義母が要介護となっていたら、おそらく私はパンクしていただろう。

少々無理をしてでも自分の事は自分でやってくれる、もの静かな義母。本当にありがたい。


大学病院は県庁所在地にある。その為。行政、商業の中心地を通って行くのだが、なにせ道路の込んでいる事と言ったら (*_*)

―― 3時間かかって病院についた。


この日はオペ日の為、担当医は少し遅れるとの事で、それまでパパの病室で待つことになった。


この病院はとても大きく古い。現在新しい建物をすぐ隣に建築中だ。2年後の完成予定だという。

病院の建物を上から見ると十字の形で東西南北にウイングが張り出している。10階建てだ。


パパの病棟は8階の北ウイング消化管外科で 6人部屋×4 4人部屋×1 個室×4 ナースステーション続きのリカバリー室×1(3床程) となっている。


それにしても古い・暗い。

6人部屋のパパのベッドのある一画は床から天井までくっきりとクラックが入っていた。

さっちんが面白がってクラックを指でなぞると、指先が真っ黒になってしまった。

ちょっとガッカリで「東海沖地震が来たら間違いなく倒壊するね」などと寒いオヤジギャグを言ってしまったが、さっちんにはウケた。


パパが帰り支度を済ませたのでエレベーターホール横の病棟ロビーで待っていると間もなく担当医のO先生がやってきた。


初めて会うO先生は緑色の手術衣を着ていて、まだお若い感じ。40代前半だろうか。


パパがまず最初に「娘です。」と言ってさっちんを紹介した。…つもりだったが、さっちんと私が隣同士一緒にいたので、O先生は「お孫さん?」と聞き返す。

「いえ、娘」と再びパパが言う。

「えっ、お孫さん(じゃないの)・・・???」と困惑している。

家族のデータを何も持っていないO先生は、私とさっちんを交互に見比べて、やっと納得したようだった。


く~っ! 一瞬ですが嬉しかったですよ。O先生。

『ありえないだろー』と思いながらも、そうである可能性が5%以下の私をたとえ一瞬でもパパの娘?と間違えてくれて。

確かに「娘」と言われれば、さっちんは小さすぎるし、私は大きすぎる。


その様子を横で楽しそうに笑って見ているパパでした。