病棟ロビーの横にある、こじんまりした会議室で主治医のO先生、パパ、私、さっちんが対面した。
先程の「孫」発言で少し緊張が解けた感もあるが、O先生の表情は硬い。
パパの病状を淡々と話す。
原発の食道癌はかなり上部にあり、下咽頭部の2~3cm下である。CTの結果では他臓器に転移は認められないが、頚部リンパ節がかなり腫れているので、転移と見ていいだろう。
ここには、反回神経といって声帯や嚥下時の気管支弁を司る一対の神経がある等、大変デリケートな場所である。
手術をする前提での話になるが、手術ではリンパ節の郭清を行うが大動脈と気管支に挟まれている状態で開いてみないと取りきれるかどうかは分からない。
場合によっては、反回神経を一部切除する可能性もあり、その場合は嗄声、誤嚥が起こる。
又少しでも触ると麻痺がおこる可能性も高い。
そして、治療にあたり一番の問題点があがった。
血液だ。
どの数値も低い事を指摘された。
血液については、市立総合病院の医師は「アルコール性肝硬変??」と記し、セカンドオピニオンの医師は「病変からの出血」と記した。
O先生は「白血球を除けば白血病患者並の血液。前白血病の状態」と言った。
続けて「血小板が通常は250000ほどなのだが、52000しかない。これでは手術中大出血を起こすリスクが非常に高い。50000を切ると手術自体が出来るかどうか・・・。又、白血球も非常に低く、抗がん剤や放射線が使えない。」
少し前は食道の癌が少々厄介な場所にあり、術後は声を失ってしまうかも知れない事で頭が一杯だった。
しかし、血液の話を聞き、手術さえままならない状態でケモラジも出来ないという事は治療を諦めなければならないという事なのか???
黙って話を聞いていたパパが一言発した。
「放っといてもいいけどな…」
一瞬、私も先生も言葉を失ってしまったが、すぐにO先生が
「食べられなくなりますよ。命に関わるんです。」と仰った。
パパは渋々といった様子で投げやりな言葉をひっこめた。
術中から術後の事や声を失った場合の事を私が聞くと、パパが
「そんな事は手術が出来てからでいい」
と、私の質問を制してしまった。
「血液内科と連携をとって対処します。何らかの処置は必ず出来ますから、ご自宅に帰って禁煙と栄養を沢山とって入院に備えて下さい。入院日は追ってご連絡します。」
パパがナースステーションで退院の手続きをとっている間、病棟ロビーの椅子に荷物を抱えてボーっと座っていた。
さっちんの事も忘れて床の一点をずーっと見つめていた。
O先生が何か言いたそうにこちらを見ながら次の患者さんと先程の部屋へはいるのを目の端に捕らえながらも、視線を移す脳機能も働かないくらい思考は止まってしまっていた。
病院を出たのは20時頃だった。
さっちんの「お腹すいたー!」のシュプレヒコールに耐えられず、病院近くの通り沿いにある「かっぱ寿司」に入った。
パパは病院で食事を済ませていた。
私は、4月のあの日から食欲が無く、夜もあまり眠れない。
さっちんは注文すると新幹線でピューとやってくるお寿司に上機嫌で、納豆巻き、納豆軍艦と納豆ばかり食べていた。
するとパパが回る寿司皿の一枚を見て驚きの声をあげた。
「これがアワビか!?」良く見ると、紙のように薄くスライスしたアワビがペロンと乗っかっている。
よくもまぁこんなに薄く切れるものだ。感動すら覚える。
いくら一皿100円とはいえ…下に敷いてある大葉が透けて見えている。
パパが驚くのも無理は無い。
私達の住んでいる町はアワビや伊勢エビを代表する海産物が特産品だ。海女さんも沢山いる。
子供の頃は海女小屋に行くと、おやつ代わりに丸ごとのアワビをもらってかじっていたそうだ。(羨ましい)
そんなアワビが可笑しくて3人で大笑いしてしまった。
久し振りに3人で笑った。
笑うって本当にいい。
無理をしてでも笑っていると何時の間にか周りも明るくなって自分も朗らかになってくる。
そういえば、明日はさっちんの誕生日そしてG・Wが始まる。
今年はお祝いにどこかに連れて行ってあげるような時間も気持ちのゆとりもない。
1日早いけど親子3人水入らずだし、これでお祝いの席とさせていただきます。
ごめんね、さっちん。