三回目の命日が来ました。


昨日まで姉が来ていたので観光がてら見送った後、パパが最後を迎えた病院へさっちんと共に行ってきた。


今年は三年前のあの日と気候が似ているのか、桜のほころび具合が同じようだ。


こちら地方は、まだ満開とまでは行かず今日は晴天だったが冬の名残を感じさせる風が時折すぃと吹いていた。


それでも、三年前はパパの病室から見えた中庭の桜の大木はここだけこれでもか、と言わんばかり枝いっぱいに薄い薄いピンクの花をこんもりと咲かせていたし、駐車場の樹齢の浅い桜も満開に近い姿で霊柩車に乗り込む私達を担当医や看護師さんと共に見送ってくれた。


トトロの七国山病院のような風情を残す建物は老朽化に伴い別の場所に移転して名称まで替わっている。

聞くところによると同じ市内の別病院が後を継ぐようだが開院はしておらず、あの時のまま何も変わっていなかった。

ただ、いつもぎゅうぎゅうで停める場所を探すのに苦労した駐車場は1台の車も停まる事無くガラーンとして、その向こうに懐かしい古ぼけた病棟が建っていた。


あの中庭の桜がどこからか見えないだろうかと、病院の敷地を囲むように伸びている小径をさっちんと歩きながら背伸びするように伺うが、やはり建物に阻まれて何も見えなかった。

どこの出入り口も厳重に締め切られて最早、私達とは縁もゆかりもありませんと拒絶されているようだ。


辛うじて駐車場の桜が小径に覆いかぶさるように咲いているのが認められた。


にこにこのブログ


そう言えば、入院している頃から既に移転の事は知るところだったが、入院患者の一部始終を見つめていたあの大木は「愛でる人がいなくなっても毎年咲いて散っていくんだろうね。」と言っていた、今はなき彼女の言葉がとても切なく耳に残っている。



三年経っても何年経ってもパパを失った哀しみに慣れることはあっても、癒えることはない。