ついに11月がやって来ました。
悲しみの始まった月。
今までと180度生活が変わった月。
悪夢のような月。
カウントダウンの月…
だけど、だけど、家族の絆を感じ、結束が強まった月…
1年前にいた病院の診察室。
主治医から告げられた言葉を覚えてる。
うーん、どうしますか?治療を行わなくて生活の質を保つという方も多くいらっしゃいます…
手術はもう出来ません。治療するとしたら抗ガン剤だけですね…
私は立っているのもやっとだったけど、パパは聞いていた。
先生、あと、どのくらい?
2年…もちろんそれ以上の方も、そこまで叶わないかたもいらっしゃいますが。
私たちの中で2年…という言葉だけが残った。
パパは
2年かぁ、さ、どーしようか。
なんてまるで人ごとのように私に問いかけた。
私は声も出ない。
病院の帰りに行ったイタリアンレストラン。味もわからずパパだけが食べていた。
あのお店にはあれから行っていない…
動揺もせず、堂々としていたパパ。私に対しての優しさだろうけど、
大丈夫、2年あるよ。でも長生き出来ない気がしていたんだ、俺。
なんて明るく言っていた。
でもね、来年のこの季節に自分がいないなんて想像もしていなかったろう。
まさか、1年も待たずにいってしまうなんて。
それからの11月のバタバタ。
入院は病室が空いてないためにまだ先になるだろうと言われていたけど、帰りのレストランに
病室が確保出来ました。すぐに入院を!
の連絡。息子やお嫁ちゃん、娘もすぐに東京から飛んで来てくれて…
どんなに力強かったか。
家族の力にどれだけ助けられたか。
特に娘は向こうでの一人暮らしを諦めパパの側で暮らすことを選んでくれた。そして、今も私と暮らしてくれている。
ほんとにありがたい。いずれ東京に戻っていくことは娘のためにも必要なこと。わかってる。でも、今は素直に一緒に暮らせる喜びを味わせてもらっている。
兄妹たち。
以前から仲の良いパパの妹ちゃん、何度も何度も東京から通ってくれて力になってくれた。子供たちにも言えない弱音を吐かせてもらった。彼女がいなかったら多分乗り越えられなかっただろうな。
パパの兄夫婦にも助けてもらった。自分の病気だって大変なのにわざわざ横浜から何度も来てくれた。
この絆は、兄妹はパパが遺してくれた私へのプレゼントだと思ってる。
ありがたくこれからもずっと大切にしていきたいな。
今週末には東京からパパが勤めていた病院の同僚と部下の若い女のコが来てくれる。
パパが闘病中には連絡さえしなかった。パパの望んだこととはいえ、失礼したと思ってる。そんなパパを許してくれておまいりに来てくださるなんて、嬉しい。
一緒にパパの話をしよう。そして私の知らないパパの話を聞けたら嬉しい。
今月を乗り越えたらもう一つ前に行けそうな気がする。
もちろん違うかもしれない、また落ち込むかも、しれない。
だけど、一つの大きな乗り越えなくちゃいけない月のような気がします。
外も明るくなってくる時間。
さぁ、起きよう。
今日もお仕事だ!
一人ひとりのお客様を大事に、暖かく接客しよう(電話だけど…)
頑張るよ!パパ!
見ていてほしいよ。見守っていてほしいよ。ね!