こんにちは
いつも読んでいただきありがとうございます。
何度も書いてることばかりです


また辛い桜の季節がやってきました。

卒業式、入学式
私は今も辛くなる。
この季節は、特別翔とかなのことを思い出す。
卒業式翔は帽子を被っても行きたいと
病院の許可をとり卒業式に何とか出れました。
私たち夫婦は、その場で倒れても本人の意思が強かったので、卒業式に参加しました。
堂々と歩く姿を思い出します。
友達も沢山声をかけてくれて、
「頑張れよ」って
翔は嬉しそうに、笑顔一杯だった。

高校入学式も病院の許可をもらい出席できました。
抗がん剤の時には入院して、
高校も数日ですが出席できました。
友達もマスクをしてお見舞いに
毎日来てくれました。
とても感謝してます。

もう皆結婚して子供をもってる子が沢山います。
今翔が生きていたら、孫を見ることができたのかなって

かなには辛い思いをさせました。
翔が入院すると、私も病院からの帰りが遅く、かなに向き合う時間があまりなかった。
かなごめんね。

翔が亡くなり、私たち夫婦は泣くことがしばらくは続きました。
私は裸足でお墓に行こうとしたり
お墓に行けば、翔に会えると思ってた。
死を認められなかった。

そんな悲しみ辛さを抱えながら
一人になったかなを、生き甲斐に
生きてきました。
そんなかなも心臓病で、私たち夫婦から手が届かない空へ、逝ってしまいました。

かなはよく言ってたね。私たち夫婦を見て、「私が死ねばよかったね」って
夫婦がかなを追い込んでしまった
ことがありました。

そんなかなも、シングルで子供を育てるといいながら、心臓病発作で七ヶ月の陽を残し、お空へ逝ってしまった。
陽はまだミルクを飲んでおり、私は泣いてミルクを作って、飲ませることで必死になり、悲しみに襲われながら今まで生きてきました。
陽はあれから五年、今年年中さんです。
来年は一年生
私たち夫婦は陽を養子にしました。
お友達のママは皆若いのに、
陽ごめんね。
皆のママは若いのに
陽のママは来年還暦。

年に負けないように、なんとか頑張ってます。

主人は、かながなくなってから、
笑顔が以前より減りました。

翔は亡くなる前に、やっとブラックコーヒーが飲めるようになり
主人は喜んでいました。だいのコーヒー好きでしたから
「やっと飲めるようになったな
退院したらおいしいコーヒー飲みに行こうな」って約束してました。

かなはお酒が飲めるので、
亡くなる一週間前に二人でお酒を飲んで帰ってきました。
主人は「また行こうな」って
とても嬉しそうだった。
かなも喜んでいました。

今は親子三人ですが、
翔とかながいるようで
毎日気配を感じます。

陽は元気に育ってね
もうこれ以上の経験はしたくない

今でもお友達に、花見を誘われるけど断っています。


来年は行けるといいな
まだ勇気がでません
こんな情けない親でごめんね。
翔、かな会いたいよ



夢でもいいから会いたい