父の命日に寄せて | みかりんのささやき ~子宮頸がんワクチン被害のブログ~

みかりんのささやき ~子宮頸がんワクチン被害のブログ~

私の娘が子宮頸癌予防ワクチン「サーバリックス」接種直後から熱や吐き気、痛み痺れが現れ、片手、両足が疼痛に。そのままCRPSに移行しました。
CRPSは治ったものの、今は副作用などと戦いながら少しずつ治癒に向かって邁進する日々です。

HPVワクチン副反応に遭ってから、長い間娘の「副反応の今」を克明にブログを通して書いてきた。多くの人に、娘に起こったワクチンの被害という現実を知ってもらうだけでなく、考えてもらいたかったし、誰にでも起きることだと知って欲しかった。

どうしたら治るのか、分からなかった。助けも情報も必要だった。何もかもが分からなかった。医師こそ、何も知らなかった。

「医師ですらよく分からない。知らない」が、とても悔しかった。知らないことはそのまま、詐病や嘘、精神的なもの、ヒステリーで片付けられ、どこか得体の知れない場所へと遠ざけられ、誰かか診てくれるんじゃないの。そういう人を探せば? という放り投げのような扱いになり、「お母さんを治療しないと娘さんは良くならない」という謎な発言まで投げかけられ、投薬までされそうになったことさえある。

医師が分からないことは、被害にあった親が悪くて、だから子どもがこんな風になる。という結果に誘導される。

理不尽だけど、それが現実だった。


娘は今も体調が絶好調ではないが、自己免疫疾患の治療である免疫吸着療法によって、改善のとっかかりができ、少しずつ牛歩のごとく歩んでいる。今ではアルバイトをちょっとして、一人で普通に出かけることもできるし、見た感じも普通だ。

一昨年あたりから、娘は成人して私がHPVワクチンのことで活動するのを極端に嫌がるようになった。

ちょうど私も身体の調子が悪いなと思いながら動いていたけれど、明らかに歩けなくなってきて、買い物までの距離すら、たどり着けるか怪しいほどにヘトヘトになって、日常生活に支障をきたしだした頃と重なった。

娘は、「もう活動はやめて」というようになった。

以前から、娘にそういう気持ちがあるような気がしていた。どこかで。


近しい人からも、そろそろ自分のことに目を向けないとダメだよ。体調も悪いんだし、過去の後ろを向かずに自分のことも大切にしないと後悔するよと言われることもあった。

そして、自分の体調不良の原因が分かった。

難病だった。元々指定難病を一つ持っていた。シェーグレン症候群。私のシェーグレンは軽いため、指定難病の認定をとっていなかったが、新たになった難病は一発で認定がすぐにおりた。

直ぐに対処療法の薬を飲むことになったが、これが合わなくて日々下痢と腹痛、身体のあちこちが攣るような症状に苦しむことになり、調整が難しく、一回に飲む薬の量を少なくして回数を多くしたり。色々試してみたが、とにかく調整ができない。愛犬の散歩に行って、薬の作用から足が攣って途中で歩けなくなってしまい、帰宅するのが大変になったり。あれこれ調整するも、その薬は合わなくて断念した。

別の薬を飲んでも、また副作用でお腹の調子は常に良くなくて、難病の症状は薬によりいくつか抑えられたものの、お腹の調子はいつも良くない。更に、抑えられる病状もあるが、抑えられない病状もあった。いくら薬の量を増やしても、なくならない症状。それとは仲良く共存することにして、減薬に踏み切った。断薬まではできない。あくまでもギリギリの量を探して、微妙な症状のまま、病と一緒に生きる。

世の中がコロナ禍にもなったので、出かける事が極端に減った。私には都合が良かった。もう走ることもできないし、無理はしない。無理が効かなくなったのだから、そのように生きるしかないのだ。毎日、ギリギリのところで疲れている。

そんな私を見ていたから尚更、娘も「もうやめて」と思ったのかもしれない。

ツイッターからも少し離れた。


その間、昔のように居間のテーブルで物語を書き、公募に応募したり、2008年から所属している同人誌に作品を投稿したり。とにかく、娘がワクチン被害に遭う前に私がしていたことをまた、始めた。

娘のHPVワクチン副反応の病状やら、常に「何かやらなければならない」という締め付けられるような切迫感から自分を切り離さないと、メンタルもダメになると思っていた。

なかなか抜けきれず、難儀している。


娘は言葉も行動も、自分で考えて行える1人の人間になっている。娘は自由に、できる限り生活に支障なく自力で、友人や未来のパートナーに出会い、生きてゆく術を自ら探す段階に入っている。

もう私がしゃしゃり出るべきではなくなったのだ。

ただ、これからの未来ある誰かの子が、私の娘と同じような酷い副反応に苛まれ、苦しむ様を見たくはない。

生きている限り、健やかで幸せな人生でいて欲しい。若いうちから学校にも通えなくなり、学習機会も奪われるような青春時代にはして欲しくない。

私の気持ちは揺れている。色々と考える程に私も苦しい。どれも正解だし、正解は無いのかもしれない。

何も考えないで直ぐに物事を手放せるような、責任の無い人であれば、こんなに悩むこともないだろう。私はどうしたらいいだろうか。

私が講演や陳情、記者会見などに行くたびに、私の両親や夫に二人の子どもをお願いして活動してきた。父は6年前の今日亡くなった。

先日、母に会ってきた。父のお墓参りの後で。

母は82になっていた。

苦労と心配ばかりかけた。

そしてまた、私の病気でも心配をかけている。


失われたこの11年余りを、取り戻すには少し遅すぎると思いつつ、自分のやりたかったことをしたいと思う気持ちがあって、まだその内なる声が今も騒いでいる。

迷いながらそれをしたいと思い、身体と相談しながら居間のテーブルでPCを開く。


まだずっと悩んで、迷って、申し訳ない気持ちもある。

ただ今日は父の命日だし、本音を言う。私の内なる声だから。

ずっと物語を書きたい。毎日毎日。ずっとずっと。それが私の今できる幸せだったりする。