冷たい雨と風が吹いてきた。
急な天候や気温の変化に
人は時に翻弄される。


訪問先で、トラブル発生。
パニックの自分は幸い表面化せず、
不思議と落ち着いていた。
シゴトでトラブルはもはや
切り離せない状態となり、
落ち着いて最善を尽くしながらも
進退窮まったという絶望感に
たびたび襲われる。


仲間は優しく、上司も寛容だった。
恵まれた環境に支えられ、
空の上の祖父母にまで助けられ、
事なきを得た。


「あなたの普段の行いのお陰だよ」
と、夫は言う。
私のいる職場は、利用者ファーストと
法令遵守が実現している稀有な環境だ。


トラブルの最中、ひと息ついていたら
また聞かれた。
「ケアマネにならないの??」
今度はなぜ?と返すと、
「現場、大変じゃない?」
。。。義父と同じだった。

 
現場でのトラブルは、どうにかするしかないし
ベストを尽くしたら、託す先も見えてくる。
万策尽きたかと思う挫折感は、
ケアマネになったとしても、変わらないと思う。
だが今回は、あちこちに心配をかける事態もあり、
もう、潮時だと思い詰めた。


地元で長く、働きたい。
そんな思いで始めたけれど、 
長く、を阻むのはこんな時だ。
気候変動、寒暖差、
そして疑問を感じる過度なミッション。。


駄目ならば
どうしようもなくなったら
死んでしまってもいい。


私は人生の岐路のたびに
そう思って選択して来た。


多分そんなときは
全力で死に抗っている。


でも、もし死ぬならば、
土に還るように
機能を果たしたい。


介護士としては
訪問介護意外考えていない。
だからここでもし退くならば
何か遺して行きたい。


5年の経験の殆どは
手応えのないものだったけれど、
目の前の人を
穏やかにする方法なら、
いくつか手応えを感じてきた。


訪問介護は単なる家事支援ではない。
残存機能の維持と向上のために
他業種とも連携する。
「一緒にがんばりましょうね」
と言い合える関係が理想だ。


しかしながら、
限られた時間での訪問介護には
どうしても限界があり、
施設への入所を余儀なくされることも
多々ある。
今回はその臨界点に遭遇したのだった。



掌から
砂がこぼれ落ちるような無力感が
ここの所続いていた。
だけど一方で
「ちゃんとやってきたじゃないか!」
という自信も心の中で声を上げた。


訪問介護は、
事情や本人の意志で
家から出られない人を支える仕事だ。
今回は錯乱して家から出ようとする人を
穏やかに休ませた所で終えることができた。
ここまで来ると、プランが見直され、
多くの人の目のある環境が必要となる。


家にいたい。
だけど時に
外に出たい。


毎日支援を受けるとしても、
食事、排泄にある程度の残存能力(歩行や座位の維持など)がないと終日の見守りが必要となってくる。


家で生涯を終えたいならば、
老いや病と向き合う覚悟が要る。


向き合わなければ
「一緒にがんばりましょう」
という環境も生まれない。


5年を経過して、
ようやくその環境への手応えを
別の利用者とのやりとりで
感じることができた。


今回のトラブルで思い詰めたときも、
その手応えを手放してはならないと
踏みとどまることができた。


その人は、
最も苦手な人でもあった。


やってほしい
が強い人だった。


最近諸々の環境が一変して
在宅での足浴と全身清拭に
協力的になり、
「あぁ、気持ちがいい」
と心穏やかに過ごせている。


楓の赤い葉が
地面に溶けるように
茶色くなっていく。


幹に養分を残し、
己は土に還る。


穏やかな在宅での最後まで
温かく心地よい瞬間で
寄り添えるのは
我々の仕事の醍醐味であり
真骨頂だと有り難く感じている。


そんな環境にたどり着くまで
また幾度となく悩み、挑んでいく。




















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