つづきです







ある日、オレは大野社長に呼ばれた。


「ニノ、悪いんだけど…俺の代わりに原稿取りに行ってきてくれないか?」

「妻戸先生の?構わないですけど…
原稿って、メールとかじゃないんですか?」

「妻戸先生は、自筆にこだわりがあるんだ。郵送も嫌がって」

「はぁ。そういうことですか。オレで良ければ」

「じゃあ、明日頼む。今日はもう上がって良いから」


先生の住所の書かれたメモを受け取ると、オレは寝るためだけに借りている狭いアパートへと戻った。このところ残業つづきだったから、明日に備えてゆっくりと休めということなのだろう。
社長から渡されたメモをよく見れば、住所の他にも何やら書かれている。なるほど、ここで先生への手土産を買えということらしい。
オレは久しぶりに日付の変わる前に布団に潜り込み、心地よい眠りについた。


翌日、メモに書かれていた店へ向かったオレは、見覚えのある景色に驚いた。

店名こそ忘れていたが、過去に訪れたことのある洋菓子店。


『ここのモンブランが美味いんだよ』


そう言って笑った、彼の…
ちょっとはにかんだ笑顔を思い出し、甘い痛みに胸の奥が苦しくなった。


店が開くのを待って、先生の好物だと言うモンブランを購入し、しっかりと領収書をもらう。
社用車に乗り込んでナビに入力すると、高速を使って3時間ほどの場所が表示された。
原稿を受け取るだけとはいえ、好きな作家に会えるという喜びに、オレは胸を高鳴らせていた。




都心から少し離れた、小さな地方都市。
さらに…そこから、山道を進んでいく。


「なんで、こんな不便なところに住んでんだよ。やっぱり作家って変わりもんが多いのかな」


どこに住もうが勝手なのだが、あまりの道の悪さについ愚痴がでる。
小さな橋を渡り、さらに登ると…
"目的地周辺です"の音声とともに、古民家風の建物が見えてきた。

…あれ?

さっきまで晴れていたはずの空は、急に薄暗くなり、フロントガラスにポツポツと雨粒があたり始めた。そう言えばラジオの天気予報で「所によっては雷雨が…」とか言ってたっけ?まじか。

敷地に入ると、家の脇に一台の車が止まっていた。先生の車だろうか?
とりあえず、車を玄関前に停め、インターフォンを鳴らそうとして探したが…
そんなもの見つからないので一応ノックしてから声をかけた。


「こんにちは、お世話になります。嵐出版の二宮と申しますが…」


耳を澄ますが、返事はない。


「妻戸先生、いらっしゃいますか?!」


重い扉に手をかけると、鍵はかかっていなかった。ガラガラとスライドさせるともう一度声をかける。


「先生、嵐出版の二宮です」


停められた車と玄関に綺麗に並べられた靴。
それらは、先生の在宅を意味していた。




つづく



miu