つづきです

にのちゃん視点







本当に、まだ…間に合うんだろうか?

窺うように大野社長を見れば、彼は…何やら手帳とにらめっこを始めた。
ぶつぶつと独り言を言いながら、メモを書き込んでいく。


「あの…社長?」

「よし、ニノ…明日から忙しくなるぞ!」

「…はい?」


ふにゃりと微笑んだその表情に…
オレはなぜか、軽く寒気を感じた。




それからの一カ月間は、怒涛のような忙しさだった。通常の仕事に加え、予定していたいくつかの案件が悉く前倒しされ、その対応に奔走する日々。
一人じゃ足りない。オレがもう一人欲しいくらい。
それでも…この状況下で、大野社長が一番働いているから文句も言えなかった。

そんな目紛しい日々が、やっと…落ち着いたある日、オレは社長室に呼ばれていた。


「ニノ、今から松潤のとこ行ってきてくれ」

「…え?でも…
今回の原稿の締め切りは、まだ来週でしたよね?」

「ニノにも、たまには有給取ってもらわないと。
締切までの間、一週間…
あいつのところでゆっくりしてこいや」

「えええ?!そんな急に!」

「…そのために鬼のようなスケジュール組んだんだから。まさかダメとは言わねぇよな?」


……あのクソみたいな忙しさは、オレの体を一週間空ける為のものだったのか。

突然の提案に、どうしたものかと思案していると、思いがけない来客を知らせに、副編集長が慌てて社長室に飛び込んで来た。


「社長、大変です!妻戸先生がいらっしゃってます!!」

「…は?!」

「大野さん、久しぶり」


少し低い…聞き覚えのある声に
オレは慌ててパーテーションの後ろに隠れた。
息を潜めて気配を消す。


「よお、珍しいな。
こっちに戻ってくる気になったのか?」


社長はオレの横を通り越し、ドアに近づくと
「まぁ座れよ」と ソファを勧めた。


「そうじゃないけどさ。大野さんに話があって」

「…なんか、あんまり聞きたくないな」

「そう言わないでよ」


一呼吸おくと、先生は信じられない言葉を口にした。


「今回の仕事を最後に、書くの…辞めようと思うんだ」

「は?!何でまた」

(?!!)
オレも思わず声をあげそうになり、口元を押さえた。


「もう、書く必要なくなったからだよ」

「…頼む。もう少し分かるように話してくれ」


先生はふぅと息を吐き出し
自ら下した決断を、静かに…語り始めた。


「あなたはさ、俺が文章を書き始めた理由知ってるじゃない?」

「え?うん。消えちまった恋人への、重たいラブレターだろ?」

「重いって笑
…まぁ、実際そうなんだけどさ。
あれさ…全部読んでくれていたんだよ。俺の7年分の想いは、ちゃんとあいつに届いてた。 
だからね?
もう…書く必要無いかなって」

「…それでいいのか?」

「これ。最終稿まで書き終わってるから…
今までありがとう。じゃあ」


そう言うと、先生は社長室を出ていった。


『悲恋の王』なんて呼ばれるほどの、作品の数々。
それが、オレへの…?


深い想いは、心を揺さぶり

切なくて
苦しくて…

泣いて、

泣いて、

泣いて。

失った愛の大きさに
やがて涙が枯れ

それでも
かつての恋人の幸せをひたすらに願った
何人もの主人公は

潤くん…あなた自身だというの?


「なぁ、ニノ。有給…どうする?」


心のうちまで見通すような瞳に、はっと我に返った。


「すいません、お願いします!!」


オレは社長室を飛び出し、先生の後を追った。






つづく



miu