『母と祖母が熱心な信者だったから、私も子供のころから教会に行くのが当たり前だった。
生活の一部で行くのが普通。学校に通うのと同じような感覚で、実際に日曜学校というものもあった』
『夏休みに地区のお寺に通い、仏様の教えについてやお経を学んだことがある。
子供会のラジオ体操と一緒で、ノートや鉛筆などの文房具が貰えて嬉しかったのを覚えている。
だから今でもお経を諳んじることができるんだよね』
両親や祖父母といった家族に連れられて行ったのが初めでも、それが習慣として当たり前になっていた。
自分の家が特別なのではなく、まわりの皆も普通にやっていることだったから、何の疑問も抱かなかった。
まさに幼少時代からの刷り込み。
その家に伝わっている教え(宗教などの風習)はそれこそ千差万別だが、共通していることはそれを正しい方法だと信じ、生活の一部として過ごしていたこと。
そして日常生活の中でのささいな出来事から、それこそ人生の大事には、必ずその教えに頼ったり、縋ったりもしていた。
少しでも良い方向に事が進めばその教えのお陰だと感謝し、悪い結果しか残らないような苦しい時には、さらに教えに頼る。その繰り返し。
実は苦しい時の方が多く、むしろ徐々に状況が悪くなっていても、それは自分が悪いからだと考える。そう教えられていたから…。
家庭に伝わっている風習は何の力も持たない、作法や形式にすぎない。
大半は良かれと思いやり続けていた事により、さらに状況を悪化させてしまっている。
ありふれた日常には、見えない世界の間違い事が氾濫している。
心先見
見えない世界の影響から
身体や心を守るお守り
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