今年のお盆もご先祖の墓参りは勿論ですが、大日堂にも参拝をしてきました。

 

そして今年も大日堂の境内で、誰とも会うことはありませんでした。

 

 

私には大変有難く思える場所なのですが、参道入口の銀杏の木は切り倒され、建物の屋根や外壁は朽ちていく一方です。

 

 

重要文化財の指定を受けているにも関わらずこの有り様は、この地域の人々の心の現れなのでしょうか?

 

本当に悲しいことです。

 

 

しかし、そんな状態にある建物ですが、境内は善良なるボランティアの活動によって、清掃が行き届いていることは大変嬉しく思います。

 

大日堂の参拝の帰り、駐車場で休憩すると首筋に変な違和感を覚えたので手で払うと、なんと山ヒルが付いていました。

 

 

山ビル、初めて見ました!  あ、わ、わ、わ~

 

きっと大日堂の境内を歩いた際、一か所だけ草の生える小道を通った時に付いたのでしょう。

 

もうビックリでした。

 

透かさず車内に置いてある殺虫剤を噴霧して速攻で家に帰り、シャワーを浴びました。

 

草の生い茂る山道を歩く時は、くれぐれも気を付けましょう!

 

その後、また秦野方面を走ると、道路沿いの小高い森に何かを感じました。

 

 

カーブの続く道のため、横目ではあったのですが、木々が生い茂る間から大きな石柱らしきものが見えた気がしたので気になり戻って確かめてみました。

 

すると、小高い森の中に大きな忠魂碑が祀られているではありませんか・・・。

 

 

忠魂碑」とは、天皇に忠義を尽くすという想いを誓った記念碑なのです。

 

カーナビ等にも登録されていない場所にひっそりと祀られていたのです。

 

忠魂碑を見ると、「陸軍大臣 山梨半蔵 書」と刻まれている立派な碑でした。

 

こうした機会がなければ、山梨陸軍大臣というお方が神奈川県出身の方と知る由もなかったので、なんの因果かはわかりませんが、お盆の時期だからこそこの場所に導かれたのだと思います。

 

忠魂碑に手を合わさせていただいた後、周囲を見回すと、少し離れた場所に祠がある事に気づきました。

 

 

比較的新しく作られた祠で、お稲荷さんのようでした。

 

 

不思議なお導きを頂き、改めて我が国を守るために身を投じて戦った英霊たちへ感謝の意を捧げます。

 

(室内写真は撮影禁止の為、資料から)

 

さて、前回予告した迎賓館での阿部一族との関連について新たな発見があったことをお伝えした内容をまとめてみたいと思います。

 

 

少し無理やり感も否めませんが、迎賓館へ行ったこと自体も目に見えない力の導きで教えて頂いたように思えてなりません。

 

 

現在、赤坂にある迎賓館は誰もが入館できるようになっています。

 

 

ただし、入館には持ち物チェックや館内撮影の禁止の他、備品等に触れることが出来ないのでご注意下さい。

 

 

私が館内の内装を観て驚いたのは、洋風の装飾デザインの中に甲冑が描かれていたことでした。

 

海外の要人を迎える洋式美の迎賓館に、戦いを表す日本の鎧を描写したデザインは、どこかアンバランスにも感じます。

 

しかし、日本人の精神を表すデザインとしては「あり」なのかもしれません。

 

また、船が描かれている部屋には、菊の紋が付いている船の対象にある船には紋が付いておらず、一方は外国船を表しているのだと思いました。

 

 

そばで説明をされていたガイドさんの話によると、「菊の紋」は海軍を表しているとのことです。

 

そうなのです!!

 

白村江の戦い」で指揮をとった長野県(阿)穂高神社に祀られている阿倍比羅夫の像は「菊紋」を掲げています。

 

(安(阿)曇野・穂高神社: 阿倍比羅夫・像)

 

また、長野県大町にある阿部神社の屋根には水軍(海軍)を示す「」と付されていました。

 

(阿部神社・屋根の紋)

 

平安時代に生きた安倍貞任安倍晴明の伝承による物語には、何故か「」というキーワードが出てきます。

 

   (鹿と菊紋)                   (安倍(阿部)貞任)

 

更に平安時代に描かれた絵巻には、安倍貞任菊の九曜紋の衣を着ています。

 

   (九曜菊紋)

 

菊紋」は本来、阿倍(安倍)氏の紋であったのではないでしょうか?

 

調べてみると、「菊紋」が天皇家の家紋と定められたのは、明治時代になってからなのです。

 

 

もしかすると副紋とされる「五七の桐」紋こそが天皇家の家紋ではなかったのかと思うのです。

 

私は「五七の桐」家紋は、豊臣秀吉が掲げた豊臣家の家紋と思っていました。

 

しかし、ガイドの説明によると、昔の天皇家は貧しく、援助をした者たちにお礼として家紋の使用を許し与えたとのことです。

 

豊臣秀吉は、権力の象徴として「五七の桐」家紋を広く用いたために、いつしか「五七の桐」紋といえば豊臣家のイメージが定着してしまったのかもしれません。

 

そんなことを考えながら、素晴らしい館内を見終え庭へでました。

 

 

庭を散策しながら建物の外周を飾る装飾に見惚れていると、屋根にのモチーフが掲げられていることに気づいたのです。

 

 

それも左右に前立てが異なるのデザインを付したものです。

 

 

神社山門にもみられる武人でいえば、建物に向かって右側が左大臣、左側が右大臣で、左大臣の方が格上です。

 

 

その左大臣にあったる前立ては、阿倍氏の所縁を示す鹿であったのです。

 

 

菊の紋」や「鹿」、そして「」に「」は阿倍一族に繋がるキーワードです。

 

 

ここで前回のブログ「もしかして天子なのか」で紹介した安倍晴明の父、安倍保奈を題材にした映画「恋や恋なすな恋」の予告を思い出しました。

 

その映画の俳優は、大川橋蔵と嵯峨美智子さん。

 

嵯峨とは珍しい苗字です。

 

 

もしかすると、安倍(阿倍)と嵯峨天皇の関係を昔の人は「暗号」のようにして真実を後世に伝えようとする意図がそこにあるのではと私は感じてしまったのです。

 

この嵯峨天皇の父は、平家ゆかりの桓武天皇であり、藤原種継(たねつぐ)が暗殺したと伝わっています。

 

  (桓武天皇)        (嵯峨天皇)

 

平家ペルシャ人であったと考えられており、ペルシャ人は「胡人」と中国では書き表され、「」(こ)=「」(こ)となり、安倍(阿倍)氏ゆかりの「白狐」とつながるのです。

 

深読みはこの辺りにして、先日ブックオフで目に留まった書籍があったので新たに購入しました。

 

その書籍のタイトルは、「もうひとりの天皇」です。

 

 

この本を読むと、皆さんも承知の通り「廃仏毀釈」など明治時代には様々な日本古代からの伝統を壊した時代であったと改めて気づかされます。

 

私の父方の家も最近知ったのですが、「小作人達に土地を分け与えろ」という命により小さくされたとのことでした。

 

「もうひとりの天皇」の著者である小野寺氏は自らを天皇と語られています。

 

その証拠は、三種の神器十戒石板を持っているからとのことです。

 

確かに小野寺の苗字の人口分布を調べると、全国で宮城県気仙沼市が一番多く居られるのです。

 

小野寺氏が所有するといわれる三種の神器の写真が雑誌ムーに掲載されていたので紹介します。

 

 

なんと!十戒石板には、安倍(阿倍)氏ゆかりの「鹿」が描かれているではありませんか・・・。

 

 

もう一度歴史を振り返ると、福島県白川以北から東北一帯を統治していた安倍(阿倍)氏。

 

現在、世界で流通している殆どの「」は、安倍(阿倍)氏が統治していた時代に産出されたものともいわれています。

 

(東北で使用金貨)    (阿部神社(仁科)でのニホンカモシカ)

 

しかし、そうした「」の殆どは、前九年の役の戦いで安倍貞任公が倒され、朝廷に尽く没収されてしまったのです。

 

 

そして残された財産を引き継いだのが、安倍貞任公の甥にあたる奥州平泉藤原清衡なのです。

 

 

私が思うに東北にある三種の神器は、源氏率いる朝廷軍が攻めて来た時に寺の僧侶としていた小野寺氏が安倍(阿倍)氏より預かり、隠し持っていたものだったのではないかと思えるのです。

 

小野寺さん、もしこのブログを読んでいたら、勝手な解釈をしてごめんなさい。

 

ただ、私は不思議なことに、3.11の東日本大震災の時に一人で各地を廻ったのですが、その時に縁をもらったのが、岩手県一関であり、宮城県気仙沼だったのです。

 

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今思うと、私はあの時、何かに駆り立てられて行動を起こしたのかもしれません。

 

また、小野寺氏と母方の阿部家の人相が似ている事にも繋がりを感じます。

 

 

私には「金欲」や「権利欲」などはありません。

 

ただ、プライドを傷つけられることについては、決して許せない思いになります。

 

阿部の血統は皆そんなところがあるように思えます。

 

 

蘇我一族や平将門公、菅原道真公、弓削道鏡安倍貞任公ら正義心のある者は、過去から現在においてなおも「汚名」を着せられ、「名誉」を踏みにじられています。

 

それを後世に正すために私はブログを書かされているのかもしれません。

 

こうしたことが次々に導かれるが如く浮かんでくるのですが、これ以上の先はタブーの領域に入ってしまうような気がしてなんだか怖くなってきます。

 

それでは、今回はこの辺で・・・。

 

 

 

この世は浮き世ぞ。 生きてこの世にいるも、死んで滅することも同じことなのだ。

この世には、はじめも終わりもないのだ。 人は皆同じぞ。 敵も味方もない。

ただ、天地と共にまわるだけ・・・

              安倍良昭(安倍貞任の伯父)