無事に母の四十九日が終わりました。


認知症を発症してから約7年。
同時に鬱もあり、
愛子達家族にとって厄介な認知症は、
ビールの量を増やし通風に。
最後は肝硬変に。


気の強すぎる性格と、看護師やった自信で
自分は認知症じゃない!と、
病院には絶対に行かなかったので、
サプリだと言って騙し騙しに飲ませてた
鬱と認知症を遅らせる薬。

それでも結局は飲むのを忘れて意味がなくなってた。


去年、父からは、
「肝硬変やから、最期は血を吐いて死ぬから、
 覚悟はしといて」
と言われていたけど、
産まれたばかりの長男を抱っこしてる私に、
「死にたい」と言ってきたり、
口を開けば文句しか言わない母に対して嫌悪感しかなかった。


先月、のりぴーが1週間出張の間、
のんこの家にお世話になった時に、
父と母が、燦としいに果物を持ってきてくれた。
でも、喋ったらまたイライラするだけやから、
顔も見ずに接してた。

2人が帰った後、
もしかしたら、これで母と会うの最後やったりして…って一瞬よぎったんよね。

その1週間後、危篤と連絡があり、
こないだ顔も見ずに接してた事を謝りたくて謝りたくて…

母が亡くなっても泣かんやろなって思ってたのに、
病院に向かう途中、
泣こうと思ってなくても、泣きたくなくても、
涙が止まらん。

でも10分間に合わなかった。


もっと早く連絡してよ!!!!!
って父に怒ってもた。
でも、人工呼吸で延命するしかなくて、
もう意識は戻らないし、
苦しそうやから、もう外して自然に任せようって、
のんこと相談したみたい。
それ聞いても、
愛子が来るまで待っといてよ!!!!
とも言ってもた。

お葬式でもやけど、
寝てるだけに見えるのにめっちゃ冷たくて、
動かなくて、
やっぱり死んだんやなって。


一緒に住んでなかったし、
最後の2年?くらいは
まともに会話してなかったからか、
実家に行ったら母がいる気が今もしてる。


認知症でも、愛子の前では『母』で、
いつも心配してくれたり、
「困った事があれば言ってきなさいよ」って
ずっと言ってたから、
最期に間に合わなかったのも、
強い母でいたかったのか、
弱いとこを見せなかったのかなぁとも思う。

のりぴーが、
「最期に間に合わなかったのもきっと意味があるねんで」って言ってきたけど、お前に言われたくはない。
危篤の連絡きて、
「え、お父さんもっと早く連絡くれたらいいのに〜
 もうちょっと早く連絡してくれたら〜」
もうずっとヘラヘラしながらごちゃごちゃ言うてた。
それのせいで間に合わんかってんからな!

むちゃくちゃムカついて一生恨むけど、
彼が同じ立場になった時は、
愛子みたいになってほしくないから、
子供らはいいから、先用意して行ったげて!って言おうと思ってる。
その時にわかるよ、あの時の愛子の気持ちが。


正直、愛子には7ヶ月の乳飲み子と
イヤイヤ期真っ只中の2歳の息子がいるから
悲しみに浸る暇はない。

ふとした時に思い出して、
もう母に会えないという恐ろしさと
どうしようもなく胸が苦しくて
息ができなくなる。

いつかこんな日がくるとは思ってたけど、
孫の顔見せれてよかった。
孫の事は覚えてないやろうけどね。
だから、愛子と結婚したいと思ってくれたのりぴーには感謝してる。


当時は、
「昨日母亡くなってんけど。
 何で愛子洗濯干してんの?何で干さなあかんの」
って洗濯干しながら思ってたけど、
今は、洗濯干しながら、
「そろそろ着いたー?
 燦と海音の事、見守っててねー!」
って空見て思えるようになってきたかな。


お葬式はせんといて!って言ってたけど
好きじゃないやろうけど、綺麗な花いっぱい飾って
最期くらい可愛くしたげよってピンク多めにしといたし笑
家族葬やのに、友人とか同僚の人とか来て頂いて、
涙流して、最後まで声かけて頂いたりして、幸せやねー

父からの最期の言葉で、
「ワガママで、気が強くて、皆さまには嫌な思いをさせたかもしれませんが、私にとっては最愛の妻でした」

父、泣かせるやんけー


愛子が知らないだけで、
父にこんなに愛されてたのね!


結婚式の写真が母と撮った最後の写真かな?
まさかの娘の結婚式にスッピンで登場。
結婚式もきっと覚えてないかな?
でも結婚式のDVD観たら、母がめっちゃ笑ってるとこ映ってて嬉しかったー!




長すぎたけど、今の気持ちを書き留めておきたくて…

Love you, mom...