第2回朗読・怪談御礼 | 人生万事さいおーがうま

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涙の後には虹も出る。
声優・加藤将之が徒然なるままに書き散らかしているブログです。
お暇な時にでもどうぞ。

昨日は帰宅した時点でバッテリーが底を突いていたので早々に寝てしまいましたとさ。

 

改めまして、昨日は「StoryTellor朗読・怪談 第2回」にお越し下さいまして、誠に有難うございました。

来て下さった皆様はもちろん、叶わずともお気持ちを送って下さいました方々にも心よりの厚き感謝を。

 

本音を申しますとこのご時世、見送られる方が多いだろうなと思ってました。

行くのも勇気なら思いとどまるのも勇気。

どちらの決断もまた尊重されて然るべきもので、我々としてはただひたすらに受け止めるばかりだと。

 

ですので冒頭、袖から出た時のその景色の充実ぶりに普段とは違う心拍数の跳ね方をしたのも事実です。

マイクのはそれが原因ではないと思いますが(多分)^^;

 

あれだけ大勢のお客様の前で芝居ができる喜び、嬉しみ、有り難み。

本当にたくさんのパワーを頂戴して舞台を勤め上げることができました。

 

 

今回、我が賢プロの荻野晴朗さんが演出としてついてくれてました。

演技面で客観的に見てくれる方の存在というのは本当に大きくて。

我々は当然「より良いもの」を出そうとしますが何が良いいものなのかの線引きをしてくる人がいないと、もうそれはそれは独りよがりの方に行ってしまいがち。

不安ですから。今の自分の進む方向が正しいのか外れてるのかがわからないのは。

 

ひとつ上の芝居に行くにしても同じで、高く飛ぶには役者自身の身体能力はもちろんですが、それ以上に足場があるのか。

ミシミシいってる薄べニヤ板1枚の床と、鉄筋コンクリートで固めた床と、どちらが思い切り飛べるか、そして安心して着地できるのか。

演出はそうした足場を作ってくれる存在でもあるんです。

 

それもあって今回、2回目にしてようやく「型」というのが見えてきたのかなと思います。

役者陣だけでなくスッタフさんも含めて。

朗読・怪談はこういうスタイルでいくのだと。

前回はやはり手探りな部分が多かったのは否めませんが、それでもそこで得た気づきが今回の公演に生きてきたように感じます。

 

怖さを楽しむ。

怖いだけじゃない、楽しさも同時にお客さんに味わってもらえたら。

喜怒哀楽の中で怖さはどこに属すのか。そもそも恐怖とは何か。無知ゆえの物もあれば知ることで知る怖さもあるわけでして。

映画やドラマ、ゲームというフィクションから、日常生活の中にまで大小さまざま、表層的なものから潜在的なもの、多種多様な「恐怖」があるわけで、共通の認識を持ちながら共有することの難しい感情の一つなのかもしれません。

それをエンターテインメントとしてどう落とし込めばいいのか。

 

「ふたりかくれんぼ」ラストの演出は最初の読み合せの時に「これ、のがみんが袖にはけちゃってから聞こえてきたら怖いよね」という流れから

「じゃあ録音しちゃおう」と。

稽古場で録音したのを皆で聴きながら「もうちょっと距離感近く」とか「もう少し表情つけるとどうだろう」とか演出、役者、スッタフ関係なく皆でああだこうだ言いながら作ったのが最後のあの台詞です。

出来上がりを聞いたとき、「ああ、これは絶対面白くなる」と確信しました。

 

あのシーンは夜公演の時に演出が追加されました。

ご覧になられた方にはどう見えたのか、そこに思いを馳せるのも演じた側の楽しみでもあります^^。

次回もその次も試行錯誤は続くでしょうが、こういう我々の取り組みが今後のテーマに繋がればいいのかなと思います。

 

 

 

「ねこづか」

前からああいう語りをやりたかった身としては台本を読んで小躍りしたものです。

トークの時にもちょろっとお話させていただきましたがイメージは鬼平犯科帳のOPナレーション、初代の中西龍さんです。

僕ごときの力では到底及びもつかないレベルですが、あの雰囲気に近いものが出せたらなぁと研究してました。家でのリハ時間はダントツです。

 

それはさておき、やはりのがみんとくまが良かった。

特にくまの役どころは本当に難しい。

二人もコメントしてましたが特に今の若い子達には時代劇というものに触れてきてないので彼らの身体の中に音としての言葉がないのです。

NHKなどで大河をはじめ時代物はやってますが、若い俳優さんの台詞回しはやはり軽さを感じてしまう。

僕自身時代劇が好きで多少そういう音に触れてはいましたが、じゃあ出来てるのか?と言われると甚だ心もとないのが実情です。

 

以前朗読劇で「牡丹灯籠」をやった時に師匠から「あなたたちじゃまだ侍はできない」と言われたことがありまして。

台詞回しだけではない、「生き様」としての言葉を紡ぐ難しさ。

言葉とは価値観であり人生でもあるのだなと。

 

二人共ずっと苦戦してました。

「現代になってしまう」というダメ出しは一番シンプルで真実で、しかし掴みどころのない部分。

音符として伝えるのは簡単ですが、それをやれば悪い意味で型にハマるのでそれも出来ません。

歌だって音符通りに歌えてもそれで人が感動するかは別問題なのと同じです。

外れてても間違っても「自分の中からひねり出したもの」でなければ意味がないし、お金を頂く資格もない。

 

実際、本番前のリハの時点では「お、これ大丈夫か?」とちょっと心配になる出来だったのですが・・・。

 

昼公演、そしてなにより夜公演の持ち上げ方はとんでもなかったですね。

後ろで聴いてて「マジか(゚д゚)」ってなってましたし。

トークの時に「稽古では手を抜きやがって」と言いましたが、いや本当に稽古の時と聴き比べて欲しい(笑)

 

それだけ悩んでもがいて、苦しんで足掻いたんだろうなと。

そうやって紡ぎ出されたものって小手先の技術や、まして声色だけの台詞だけじゃ絶対届かないものがあるんですよね。

だからこっちまで楽しくなっちゃって坊主の胡散臭さに拍車がかかったのはあの子達のせいです。

 

あの爆発力、本当になんなんですかね(笑)

 

 

 

「散りゆく薄紅の花」

怪談といううよりは復讐譚、冒険活劇。

そんなイメージで臨んでました。

一言、

下衆いの最高!

まだ台本をいただく前、デスクさんから「あまりにゲスな役なんだけど大丈夫ですか?」と聞かれたくらいなので相当期待値が上がっていた役でした。

だからと言って所謂グヘヘ系などの記号にすると、吉野や黒田の格好良さが半減するのでそれは避けねばネバダと。

吉野も黒田もどんどん格好良くなっていくのでそんな彼らを煽るのは本当に楽しかったです (◔౪◔ )

 

しかしこのお話は役作りよりもモノローグと台詞、ナレーションの線引きが本当に難しく、そこが最重要でした。

役者陣的には一番大変なエピソーでしたね。

テンション上げると走っちゃうし、かと言って落ち着けるとテンポや緊迫感が消えてしまう。

ある意味声優としての真骨頂が試されるので他の2篇とは違う面白さもありました。

より映像的といいますか多角的な視点の切り替えがあったので、これが2本目に来たのが良かったよね~、などと話してました。

 

 

「ふたりかくれんぼ」

ちゃんと台本通りにやりましたよ?アドリブ?どんな食べ物なんですか?

 

僕の中では「悪ふざけがとんでもないことに」という位置づけでやってました。

会話劇としてとにかくテンポの良さと切り替えが肝のお話。

狙いに行けば外されるし狙わなければ物語として単調になる難しさはありましたが一番楽しくやれたのかなと。

 

ここでもくまも、のがみんもどんどん芝居が変わってくる。

特に押し入れ内ののがみんのシーンは隣で聴いててガチで鳥肌立ちました。おいやめろ怖すぎだろ。

 

実はもっと恐ろしいことにワタクシ、夜公演の時には途中からバッテリー切れを起こしておりまして。

それだけアクセル踏みっぱなしでやってたんだなぁと思いましたが、イヤもう目が滑る滑る^^;

きっかけさえ間違えなきゃいいやというスタンスでなんとか乗り切りましたが、なのでトークの時はちょっと半分魂が抜けてました。

疲れもみせず回していく二人を見るだけのお仕事。

 

若いって凄いなぁ。

 

今回も学ばせてもらうことの多かった回でしたが彼らとやってて何が愉しいって、二人とも本当に真面目に、真摯に、少しでも面白くなるように取り組んでる。

ホント、「楽しんで」るんです。

遊びをせんとやじゃありませんが、ひとつの役、作品にどこまでのめり込めるかってのはとても大切な要素。

次回はどんな作品にと出会えるかまだ分かりませんが、もっともっとこのチームで貪欲に「楽しいこと」を追っかけて行きたいものです。

 

最後に、

このような場を設けてくださったセカンドラインの小川様はじめ制作スタッフの皆様、

いつもいつも素敵な脚本を書いてくださる鹿野ハッカ先生、祁答院慎先生、神城咲弥先生、こちらのわがままを聞いて台本を直してくださったりと本当に本当に感謝しかありません。

 

そして、懐深く、温かく応援してくださいます皆様。

改めて心からの御礼を申し上げます。

厚かましくありますが、またの機会の折にも見守っていただけたら幸いです。

 

それでは!

 

おまけ

 

授業で前回のお清めスプレーの話をしたら、生徒さんから頂きました。

お陰で身体的には快調そのものです(笑)

 

【アイテム名】お清めスプレー

【効果】呪い・憑依耐性上昇