②『オッペンハイマー』純正IMAX
この記事(①『オッペンハイマー』純正IMAX・2024年04月10日)の続き。
ようやくの本編鑑賞は、
最後まであくびも全く出ず、一瞬も寝落ちしないで、
大変興味深く見終えて大満足!
一部の日本人層が騒ぎ立てている被害者意識に起因する批判は的外れで、
例えば特攻の志願者に戦争の加害者責任を問うのが的外れなのと同じように、
オッペンハイマーに原爆の日本投下の責任を問うても仕方なく、
彼もまた米国と米軍が、何が何でも日本に原爆を落とすシナリオを立てて、
それにまんまと乗せられただけ。
脚本と監督、共同製作はクリストファー・ノーランでも、
カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによる伝記『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』(American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer)の映画化であり、
映画だろうが原作だろうが、オッペンハイマーは「原爆の父」とは位置付けられていない。
つまり、この文脈に実際の被曝の凄惨な状況を挟(さしはさ)むのは、
唐突で違和感ありまくりでバランスを欠くと言うこと。
そんなの映画を見れば誰にだってたちどころにわかるだろうに、
糾弾の姿勢で振り上げた拳を下ろせなくなった人たちは、
「複雑で釈然としない思いが残る」等々の言いがかりが止まらず「やれやれ」
2024/04/05
それと、一般市民のお便り=世相・現状の位置付けが「トランプ=悪・脅威」と言う安易な位置付けばかりなのも、
まんまと世論誘導されてる歴然たる証拠なのに、そんなんで正しい歴史判断とかまともな史観で『オッペン』を捉えられんのかも大いに怪しい。
なのでこと『オッペンハイマー』評に関しては、BLACKHOLEの3人組と「原爆映画」という不揃いなくくり方の番組構成(特集に意義と価値を認めはしますが)よりも、
町山智浩氏の方に軍配を挙げたい。
2024/04/01
それとつくづく浅はかなのは、
『ゴジラ-1.0』の山崎貴監督が『オッペンハイマー』のアンサー映画を作りたいというコメントだけを頼りに、
『はだしのゲン』の実写映画化を予想した人(誰とは言いませんが)。
『オッペンハイマー』本編を鑑賞したら、そんな思いっきり薄っぺらな予想は出てこないと思うけどなあ。
JOE
岡田斗司夫氏の山崎監督次回作ですが、あれは完全にプロデューサー視点ですね。
この方、ガイナックス社長の経歴と評論家としての視点を行ったり来たりしているように思えます。
そこが面白いとも言えますが。
山崎監督の『オッペン』アンサー映画だって、必ずしも原爆を扱うかどうかは疑問。
扱えばたちまち、山崎カントクの『オッペンハイマー』という映画の読み取り能力も、所詮はその程度なのか、本当に映画本編を鑑賞して言ってんのか?ってことになっちゃうし…。
だからと言って(これも誰とは言いませんが)
「それは731部隊の映画を作るということにしかなり得ないわけだが、自分が言っていることの意味を分かっているのだろうか」
という、あまりの論理のとっぴな飛躍も『はだしのゲン』とは真逆に、
「なんで?どうして?」と観客は面食らうのではないか。
『オッペンハイマー』公開にまつわる記事を見出しだけ流し読みしてたら、
「オッペンハイマーという科学者は、人体実験にも興味があった」云々の見出しを見かけた。
2024-03-29 18:54:11
だから「なるほど、映画ではそのことも描かれるから、対応する映画にも人体実験の要素を込めるってことか」と表向きは納得し、この発言者は日本公開前か試写で、『オッペン』を鑑賞済みだからこそ、
原爆アンサー映画ではなく、731部隊を題材にしないとなんて言う唐突な意見を出したのだろうと納得していた。
ところが実際に映画を観たら、そうした人体実験の直接描写が皆無で、
ますます「それは731部隊の映画を作るということにしかなり得ないわけだが、自分(山崎貴監督)が言っていることの意味を分かっているのだろうか」の本旨がつかめなくなった。
「自国のやった戦争で一番恐ろしいところに目を向ける」と言う意味なんだろうなとのことですが、
「脚本は別の人にやらせるべき」
「そもそも誰かが義務感を覚えることなのか」と周囲が揶揄することまで含めて、
斜に構えた映画ヲタって、めんどくさいなあと感じてしまいます。
とまあ、こちらも「誰がそう言ったのか」が思い切り特定されてしまいましたが、
次回こそはさすがに、誰の意見や感想も交える前に、
私自身の感じた思いを綴らせていただきます。
僕は、次こそは戦艦大和の最後を映画化する気がしますし、個人的にはリターナーやジュヴナイルのような小SF作品を手がけて頂きたいと思っています。
ダークホースとしては、ヤマト(2010)