すっかりご無沙汰になってしまった、このブログ、、、

今年はどうしても書いておきたくて、長文覚悟で書いています。

 

おかげさまでまのぽんは無事に小学四年生になり、10歳のお誕生日を迎えました。

 

そして、我が家の長男(ニャン)であるイチは、、、10歳で虹の橋を渡ることになりました、、、。

 

思えば今年は入院に始まり、入院に終わった年となりました。

2018年夏のイチ

 

2018年の秋以降、急に痩せてきて、多尿になり、食べても食べても痩せてきて、あちこちでおしっこをしてしまいだし、これはおかしいと昨年末に病院にいくと糖尿病との診断でした。

そこから、インスリンの調整で入院で年末年始イチの入院

 

多尿は改善しないながらも、少しは元気な姿を見せてくれていたのですが、途中でインスリンの量がうまく行かず低血糖で死にかけ、調整入院。

そのうち、肝機能の値が良くなくなり、お医者様は癌を疑っていましたが、検査のための回復手術はすでに体重が半分2.5kgを下回っていたイチには負担だと思い、しませんでした。

それでも病理検査だけはしたのですが、癌ではないとの診断

4月初め急に顎から出血

何かにぶつけたのだろうか?筋力がおちて登るのもままならなくなっていたので、ケージの二階から落ちてぶつけたのだろうか?!と思っていた

薬もステロイドも始め、医者としても原因がはっきりしない胆管炎なので、今一つ処置に迷うようだった。

4月下旬、また顎下から出血があり、吐血しているようにも見えて病院へ

先生の顔が曇り、肝臓に見たこともないくらいかなりの炎症があり、、、どうしたものかと、、、

「それはこのままいくと亡くなる可能性があるということですか?

と聞くと、普通なら2週間もたないかもしれないといわれた。

ステロイドはいずれにしろやめなければいけないのだけれど、急にやめると危険だから半量に減らす指示があった。

一週間後、なぜか忽然と薬の袋がどこを探しても消えてしまった。

イチはどんどんやせ細ってみるのも痛々しかった。

もう椅子に上ることもできなくなっていたので、ケージの一階に寝床を作り、多尿のため、すぐにトイレがきれいになるようにシートを工夫してすぐに変えるようにしていた。

そのせいか、それからはきれい好きのイチは他で粗相もなく、ケージ内のトイレでしてくれていた。

 

5/15(水)

そんなイチが急に夕飯の支度をしている私のところに来て、ニャー!と鳴いて、その場でおしっこを漏らしてしまったのです!

ビックリして、怒ってしまった私、、、

今思えば、イチの精一杯の意思表示だったのかもしれない

「ママ、僕もう駄目だよ、今までありがとう」って、、、

夜になって、低血糖の時のような、足が経たない状態に!

慌ててブドウ糖を飲ませたけれど、もう表情は一時的なものではなく、死期を覚悟したような顔つきと色合いになっていた、、、

全体に茶色の毛並みの口もとだけが白かったイチが、その口元の白が、全く白ではなくて薄茶色のようになっていた。

抱っこして、もしかするとこれで最後になるかもしれない、と覚悟した夜

 

 

5/16(木)

朝5:00 

パパが起きて私を呼ぶ声!息絶え絶えのイチを泣きながら抱っこし続けた。

辛い中も体の向きを変えて、便をしていたイチ

病院に連れていかなきゃ!どうしよう!仕事もあるし、休めないし、、、と頭の中でぐるぐる思考が回り、ひとまず私も朝の用意をしようとイチをおろした

 

6:00

おろした途端、息があがり、ほんの数分の間に、舌をだしてそのまま帰らぬ子になってしまった

 

正直、自分の人生でこんなに大号泣したことがあっただろうかと思うくらい泣いてしまった

 

これを書いている今も涙がでてきてしまう

 

たかが、猫かもしれない

でも、私にとってはイチは猫以上の家族であり、同志だった

 

なかなか子供が授からず諦めて飼いだしたイチ

あまりにかわいくて、ホルモンが安定したのかその三か月後にまのぽんを妊娠

生まれてからも障害がわかり、つらくて一人で泣いていたときに、1歳だったイチが私のところに飛んできて、何度も泣くな!というように私の手を噛んだ

どこにもでかけず家でも籠り生活だったまのぽんの0歳時代

イチがおもちゃを持ってきては何度もなげろ!と犬のように言ってきた。

それをみた友達が「少しは気が紛れるね」と言っていたのを思い出される。

初めのうちは猫とまのぽんは別室が良いと医者にいわれたので、私とまのぽんだけ別室生活していた。

イチはいつも朝になるとドアの前でずっと「開けて!」と鳴き続けた。

リビングにまのぽんを連れていくようになってから必ず、まのぽんと私の間に入ってきた。

そのうち、かならずまのぽんの布団で寝るようになり、まのぽんが動いても股下で寝る姿はいつ見ても微笑ましかった。

早く、まのぽんがイチより大きくなればよいのになあ~とパパと話していたのはいつのことか、、、

イチより、あんなに小さかったまのぽんは今では身長130cm近くなり、、、

まのぽんより大きかった、イチは、前よりもずっとずっと小さくなってしまった

 

いつも一緒に仲良くリンクしていた写真を撮り続けていたことを思い出し

動かなくなったイチをまのぽんと一緒に並べて写真を撮った。

 

 

イチ、本当にありがとう!!

もっともっと一緒にいられるものだとばかり思っていた。

あなたのいなくなった後は、ことあるごとに思い出されて辛くて涙の出る毎日だった、、、

 

もう、仲良かったまのぽんとイチのツーショット見ることはできない。

 

まのぽん同様イチを応援してくださったお友達の皆様、本当にありがとうございました!

色々自分の至らなさがイチの寿命を短くしてしまったのかと悔やまれましたが

お医者様が「治るような状態ではなかったので最後に美味しくない薬も飲まずにお家で家族に見守られて旅立てたのはよかったのではないですか。病院にくれば処置はしなければならないので、苦しかったかもしれないし」と言ってくださったのが救いでした。

 

新緑のきれいな五月に、霊園にてイチを見送りました。

明るい空の下で、最後に抱っこして、霊園の方に写真を撮っていただいたのが、せめてもの慰めでした。

わがままで、強気で、アクティブで、でも一番私のことが好きだったイチ

辛かった時期を支えてくれて、本当にありがとう!

あなたがいたから、頑張れた気もします。

 

そして、私のショックな気持ちを慮り、すぐにお気持ちを寄せてくださったお友達にも本当に感謝しています!!

私にとってはまさに長男でした!

 

10年、、、

 

一つの節目の年になった2019年でした。

令和元年5月1日 新年号記念の写真が最後の家族写真になってしまいました