個人的意見として、
「表現の自由」というのは、「表現(や情報)を受け取る側の自由」つまり「様々な物の中から好きに選べる自由」であって、表現する側が何やってもいい自由、ではないと思っている。
戦時中に国家によって情報が統制検閲されたのが、そのきっかけなわけで、そのせいで、今回の中止決定は「国家による表現の自由の侵害」だと言われる。そこに脅迫だの暴力だの、それに対するアーティスト側の反撃だので、さらに問題がややこしくなってる気がする。

 

 

私は、商業作家としての経歴が少なからずあるんだけれど、
自分の作品が「好きなように描けた」ことは一度もない。
商売である以上、出版社に選んでもらわなければならず、出版社は読者に選んでもらえる作品を雑誌に載せなければならない。お金儲けをしなければならないからだ。
それは、資本主義社会では、当たり前のルールだ。
その中で、私は表現者として「読者が読みたい範囲」でしか自由に描けない。お金を払って表現を受け取る人に、満足を与えるためには、自分に制限をかけるのは当然だと思う。

「表現の不自由展」は税金で開催された展示会だ。税金で開催されるからといって国が口出しするのは規制云々、という議論に、ずっともにょっていた。

 

 

展覧会に使われている税金は、国の財産じゃない。
私が払ってる「入場料」じゃないの?
愛知まで見に行くつもりもない展示会に、私は強制的に入場料を払わされている、って事じゃないの?

国が費用を出しているから偏った作品を展示してはいけないとか、いやそれは表現の自由を保障した憲法違反だとか、そんな難しい話じゃなく、
お金払って見に行く展覧会なら払った人が満足するものにしなきゃならない、でも払いたくない人にも払わせているから難しい、って問題じゃないのか。

 

 

これが、アーティスト自身がお金で場所を借りて、入場料も取る展示会なら、何やってもいい。見に行く方も、見たことがない価値を、情報を、表現を、お金を払ってでも受け取りたいと思って見るから。
もしこれを国が規制するとしたら、それこそが「表現の自由の侵害」だ。

 

 

税金で開催する展示会が、表現者と客の金で開く展示会より規制が多いのは、当たり前じゃないのか。
出品するアーティストは謝礼を貰ってなくても、前売りで入場料を貰ってる展示会に出す以上、そこは見る方の満足を考慮しなきゃならないでしょ?
知らないうちに入場料を取られてるんだから、もったいないから見に行く、となって、こんなつまらないものにお金払うくらいなら他の展示会にお金払うわ、入場料返してよ、と言ったら、返してくれるのか?

 

 

そういう意味では、ここには「表現を受け取る側の自由」はない、と私は感じている。