『図南の翼』 | Last will

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こんにちは。ヨモリコウです。日記のつもりで書いているので、読んで楽しいものではないと思います。
自己満足を垂れ流ししているかも知れません。
でも、もし、共感していただけることがあれば幸いです。

私が1番好きな本です。

十二国記シリーズはどの作品も大好きですが『図南の翼』は特に大好きで、世の中の出版されている作品の中で1つ選べと言われれば『図南の翼』を選びます。


そして、もう何度読んだか…


十二国記シリーズは読み手側から見ればSFであり、冒険、戦いシリーズと捉える人もいるでしょうし、イケメンいっぱいシリーズにも見えるし、パラレルワールド、転生(ちょっと違う)シリーズにも近い気がします。

でも、私にとってこのシリーズは生きる上での真理であり、哲学の書として側に置いています。


いい歳して愚かな私にたくさんのことを気づかせてくれたシリーズです。あるいは、世の中のモヤモヤを言葉にして表してくれ、そのおかげで私の中でこういう事かとスッキリさせてくれたこともあります。


その中でも『図南の翼』の主人公である珠晶は齢12歳でありながら、物事の理を知っていました。

最初の場面の庠学から珠晶が帰る時に、おそらく珠晶に気がある男の子が『おれ、ついて行ってやろうか?』と言いますが、珠晶は『あんたがついて来てどうするのよ。そんなことしたら、杖身たちはせっかく家に戻っても、またあんたを送るために出ていかないといけないじゃない』と素っ気なく返します。


物語の背景を知らない人にとっては『何、クソ生意気な』セリフでしかないのですが、十二国記の世界ではこれこそ真理なんです。


そして、現実世界でもこういう事はたくさんあると思います。行動を起こしてから、あっ、こうすれば良かったとか、こうしたらこんなことになってしまったとか…

余程の天才か神でない限り、真理に辿り着くには多くの年月と経験が必要です。

まぁ、真理に辿り着くということがどういうことなのか…なんですけど。


人として正しく生きる、より良く生きるということだと思っていますが、私自身は未だに煩悩に振り回され、愚かな考えと感情に支配されています。そんな私に戒めと光を与えてくれるのが十二国記シリーズで、その中でも珠晶が主人公である『図南の翼』は私の人としてのバイブルでもあります。そして、それを作品として世に出した作者の小野不由美さんはどういう思いでこれらを書き上げたのかを私の中であれこれ思考してしまうのです。