みんな忘れるから。

 
余震は暫く続きますよ。何十回も。当時もそうだったでしょう?
 
10年前。
何回でも見せてあげます。
2011年、普通の靴やスニーカーでも足を踏み入れれないあの故郷。3月28日父の遺体確認のため
帰郷。自ら見つけて自衛隊員の方に外していただいた弟の車のナンバープレート。
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昨年末も実はあったんです、以下のようなこと。忙しくて右手も動かせずでこうしてあげることできなかったけれど。
 
2020年12月初日。
岩手からの着信。
 
震災後10年のアンケートのお願いでした。
快諾すれど、
正直、本当にきつい。
 
マークシート式と、更にこの10年を遡らねばならない記述式の質問も多数。
また記載した。もう弟を探してほしくはない、と。
 
 
それでも。
 
こういう乗り越えかたをしたよ、
 
そしたらこういう気持ちになれたよ、
 
こんな考え方があるよ、そのおかげで今こうしてるよ。
 
それを参考に出来る人がいるかもしれないから。
 
 
 
途中何回も手が止まるから
結局は投函したのがギリギリの日、クリスマスだった。
 
 
本当に運命は不思議です。
 
あの日も主人は宮城県に出張中。
高速道路の上なので下ろされ、深夜2時に帰宅。
 
 
たまたま。
 
明日が休みのエレベーター職人の社長友人が言ったの。正に今日の夕方に。
「建設業はこれから一気に仕事がなくなる。」
何かあったのでしょうね。
そうなのか、と思っていたらこの地震。
 
 
「これで仕事が忙しくなる。エレベーターそのものも復旧作業が増えるし建築も忙しくなる。」(※この人もまぁ自信家だし事実起業してから色んな人を雇ってる経験者だからね)
 
 
不思議ですね。
 
 
地震の2~3分分あと。キャビネットを押さえていたら
主人からLINEの電話が入る。
 
主人はなんと当時2011年3月11日も宮城県に出張中。
しかも高速道路の上で14時46分を迎えていた。
ゆえにどれ程の地震が判らず高速道路を下ろされ、深夜2時に帰宅。
 
今回はなんと
 
毎年恒例の仕事ながら緊急事態中につき予めPCR検査も受けて10泊。
私は未検査だが、主人の陰性の結果に自分も問題ないなと安堵したのが正直なところだ。
 
10泊、土日も通してなんて勤務15年で初めて。
3人で行く仕事なのに1人で行っているためである。
 
風呂場で洗濯物を洗っていたという。
 
ホテルの方が声を掛けにきたのが電話越しに聞こえたのがリアルだった。
 
5階建の3階だというからかなりのものだったろう。
私もこの期間で(あくまでホコリ避けにだけど)
できるだけモノを収納、整理しようと毎日少しずつ模様替えをしていた。
 
私の
父譲りの
野生の勘なのかも。
 
 
あるいは
ちゃんと定期的に振り替えれる人間だけが無意識にできる事なのかもしれない。