実家のほんの4軒隣り。
今年よくインタビューを受けていたのは田老観光ホテルのオーナー。
父が灯油を配達していた。
ここの4階に行けば
仮に「好奇心で」でも父の命はあっただろう。
3月28日の朝。
宮古市内。
前日の27日の行動はもはやよく覚えていない。
本家のK子さんからやっと連絡があり。
夫婦でほんの数時間で支度をした。
幸いガソリンも近くで調達できた。
思い出した?
東北はガソリンを買うために長蛇の列。
実際に27日に高速道路で見る車両は
「災害支援」と掲げたボランティアのバス、
そしてタンカー車くらいだった。
主人は宮古市内のガソリンスタンドで自転車をこいで給油したっけ。
4月、2回めの田老。
まだまだ瓦礫は残っており、廃棄許可の出たものには「✖印」がされていた。
1ヶ月経過して読売新聞の一面に採りあげられたのは故郷の地獄のような写真。
自衛隊の空からの画像だ。
ここは田老駅。
三陸鉄道で独り降り立った四十九日法要の日。
戦争のあとはこんな感じだったのでは?と思って撮影した。近くには父が2009年ころまで経営していた
ガソリンスタンドの跡地。
以下は5月、6月。
このあたりは実家の周辺。
ヒトデがちょこん、といるのは我が家の跡地。
元々借りている土地だった我が家はこうしてかたちを変えていった。
備えあれば、などと言うけれど。
私は何回でも言う。
ここからが助かって
ここからが助からない、
なんて境界線はないと。
思い出して。
たくさんのデマで冷静な判断を出来なくなったこと
被災地に盗みに入った人間たちのこと
今年はやっと、初めて。
仏花ではなく明るい色の花を備えました。
いつ帰れるのか。
でもあと数年で帰るね。
akiko