久しぶりに会った友人に

双子を病院に連れて行ったことを話した

『えっ!病院に連れていったの?
なんで?

ただの個性だよ?

ありのままで伸ばせるよ』



え?
アナ雪ですか?


所詮
他人はこんな感じだ


多少やんちゃな子、とか

クラスに1人2人はいたよね、
みたいな

もう聞き飽きたし


今はもう令和だし

しっかり診断がつくレベルで

それは『多少』でも
『やんちゃ』でもなく

障害なのだ



双子に関しては
いろいろなことを諦めた

まず年相応のことは
全て諦めたし

知的面での伸びも
諦めた

10回言ってできるようになれば
御の字だし

1年かけて
箸が持てるようになれば
それでいいし


世間でいう『普通』は諦めた


福祉サービスの中で
彼ららしく生きてくれれば

それでいい


まいにちの苦労と諦めを

ただの個性だと

言うのだろうか


彼らなりの
『どうして周りと違うのか』という悩みも

ただの個性なのか


そんな都合のいい言葉なんだっけ。


発達障害に関しての理解は
これから進むだろうけれど

いつまでも昭和を生きている人や

偏見を持つ人は
いなくならないわけで

そう考えると

支援級やデイで
理解がある大人がいる今の環境は

良いのだと思う


私も、
心療内科には通っているが

仕事にも復帰した


双子と出会った時

発達障害を理解したくて

それこそデイサービスや施設で
働くのも良いと考えていた

医療資格を持っている自分を
褒めたくもなった


今は
デイサービスのクリスマス会にも参加せず
連絡や送り迎えは夫に任せ
連絡帳にも目を通さない始末

私は
子どもとは関係のない医療分野で
働いている


気分が切り替えられて
とてもよい


自分の時間は
やはり必要だと感じる


あとはやはり
周りの理解だろうと思う


個性や、やんちゃなどではなく

障害への理解が進んでほしい



親も子も
必死なのだ