『SEALDs KANSAI 【戦争立法に反対する学生デモ】2015/6/21 @京都』
 (動画→https://youtu.be/Gu7zNMKYXts)

href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150721/00/ananfarm2010/4e/7a/j/o0600045013371919980.jpg">

~~ともかさんのスピーチ全文~~

「こんばんは、今日はわたし、本当に腹がたってここにきました。

 国民の過半数が反対しているなかで、これを無理やり通したという事実は、紛れもなく独裁です。

 だけど、わたし、今この景色に本当に希望を感じてます。


 大阪駅がこんなに人で埋め尽くされているのを見るのは、わたし、初めてです。この国が独裁を許すのか、民主主義を守りぬくのかは、今わたしたちの声にかかっています。

 先日、安倍首相は、インターネット番組の中で、こういう例を上げていました。『喧嘩が強くて、いつも自分を守ってくれている友達の麻生くんが、いきなり不良に殴りかかられた時には、一緒に反撃するのは当たり前ですよね』って。ぞーっとしました。
 この例えを用いるのであれば、この話の続きはどうなるのでしょう。友達が殴りかかられたからと、一緒に不良に反撃をすれば、不良はもっと多くの仲間を連れて攻撃をしてくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ、不必要に周りを巻き込み、関係のない人まで命を落とすことになります。

 この例えを用いるのであれば、正解はこうではないでしょうか。

 なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。そして、なぜ友達の麻生くんに殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたいと検証し、暴力の連鎖を防ぐために、国が壊れる社会の構造を変えること。これが国の果たすべき役割です。

 この法案を支持する人たち、あなたたちの言うとおり、テロの恐怖が高まっているのは本当です。テロリストたちは、子供は教育を受ける権利も、女性が気高く生きる自由も、そして命さえも奪い続けています。

 しかし彼らは生まれつきテロリストだった訳ではありません。なぜ彼らがテロリストになってしまったのか。その原因と責任は、国際社会にもあります。9.11で、3000人の命が奪われたからといって、アメリカはその後、正義の名のもとに、130万人もの人の命を奪いました。残酷なのはテロリストだけではありません。

 わけの分からない例えで国民を騙し、本質をごまかそうとしても、わたしたちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。

 日本も守ってもらってばっかりではいけないんだと、戦う勇気を持たなければならないのだと、安倍さんは言っていました。だけどわたしは、海外で人を殺すことを肯定する勇気なんてありません。かけがえのない自衛隊員の命を、国防にすらならないことのために消費できるほど、わたしは心臓が強くありません。

 わたしは、戦争で奪った命を元に戻すことができない。空爆で破壊された街を建て直す力もない。日本の企業が作った武器で子供たちが傷ついても、その子たちの未来にわたしは責任を負えない。大切な家族を奪われた悲しみを、わたしはこれっぽっちも癒せない。自分の責任の取れないことを、あの首相のように『わたしが責任を持って』とか、『絶対に』とか、『必ずや』とか、威勢のいい言葉にごまかすことなんてできません。

 安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。

 民主主義がここに、こうやって生きている限り、わたしたちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利があります。力があります。あなたはこの夏で辞めることになるし、わたしたちは、来年また戦後71年目を無事に迎えることになるでしょう。

 安倍首相、今日あなたは、偉大なことを成し遂げたという誇らしい気持ちでいっぱいかもしれません。けれど、そんな束の間の喜びは、この夜、国民の声によって吹き飛ばされることになります。

 今日テレビのニュースで、東京の日比谷音楽堂が戦争法案に反対する人でいっぱいになったと見ました。足腰が弱くなったおじいさんやおばあさんが、暑い中わざわざ外に出て、震える声で拳を突き上げて、戦争反対を叫んでいる姿を見ました。

 この70年間日本が戦争せずに済んだのは、こういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって戦ってきてくれた人達がいたからです。

 そして、戦争の悲惨さを知っているあの人達が、ずっとこのようにやり続けてきたのは、紛れもなくわたしたちのためでした。ここで終わらせるわけにはいかないんです。わたしたちは抵抗を続けていくんです。

 武力では平和を保つことができなかったという歴史の反省の上に立ち、憲法9条という新しくて、最も賢明な安全保障のあり方を続けていくんです。わたしは、この国が武力を持たずに平和を保つ新しい国家としてのモデルを、国際社会に示し続けることを信じます。偽りの政治は長くは続きません。

 そろそろここで終わりにしましょう。新しい時代を始めましょう。

 2015年7月15日、わたしは戦争法案の閣議決定に反対します。今日の採決に反対します。ありがとうございました。

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「安保関連法案に反対するママの会」



<記者会見より>

「安保関連法案に反対するママの会」の発起人、西郷南海子と申します。3人の子どもと生活しながら、大学院で研究をしています。そして今日、この記者会見に集まったママたちは、安保関連法案反対の思いでつながった仲間たちです。「だれのこどもも、ころさせない」。これが、このママたちを結びつける、ただひとつの一致点、どうしてもゆずることのできない思いです。

一週間前、インターネットでの署名活動として、たった一人から始めた活動ですが、同じ思いをもつ全国のママたちの声が、ものすごい勢いで集まっています。そしてついには、SNSからも飛び出して、東京・渋谷の街頭に大集合することに決めました。「どこかの偉い人」ではなくて、子どもと日々泣いたり笑ったりするわたしたちが、街頭に集い、生身の人間としての声を響かせたい。そう考えて、「7・26戦争立法反対!ママの渋谷ジャック!」を打ち出しました。7月26日、日曜日、12時半から渋谷駅前で街頭宣伝をし、13時45分に宮下公園からデモを出発させる予定です。

「だれのこどもも、ころさせない」。この思いは、それぞれの立場を超えた思いです。この思いを、渋谷で、そして全国のどの町でも響かせていきたいです。「だれのこどもも、ころさせない」。この合言葉を一致点に、さまざまな声を持つ人たちが出会い、そこからまた各自が、自由に活動を広げていく。そういった、誰からでも、一人からでも、始められる活動を目指します。この会の主人公は、「どこかの偉い人」ではありません。主人公は、日々子どもと泣いたり笑ったりする、一人ひとりのママなのです。

「安保関連法案に反対するママの会」を立ち上げてから、まだたった一週間ですが、人々の声を「無視」することで成り立つ政治への、がまんできないというママたちの思いが、形になり始めています。賛同署名と一緒に寄せられた、2000件ものメッセージには、けっしてひとくくりにすることのできない様々な声が響き合っています。今日ここでは、その多様な声のひとつとして、わたし自身が「安保関連法案に反対するママの会」と、「7・26戦争立法反対!ママの渋谷ジャック!」に込めた思いを、わたし自身の言葉で表現したいと思います。

いま、わたしたちが暮らしている世の中では、専門家以外は意見を言ってはいけないというような雰囲気がただよっています。発言の価値が、その人の所属や立場で決められてしまいがちです。しかし、この雰囲気に流され、自分の意見を飲み込んでしまうことが、「民主主義」を空っぽのものにしてしまうのではないでしょうか。こうしてただ、何年かに1度の選挙を待っている、あるいはやり過ごす、というやり方には、もはや限界があると思います。

こうした形ばかりの「民主主義」の行き着く先が、今の安倍政権なのかもしれません。解釈改憲というやり方で、最高法規である、憲法を踏みにじってみせる。強行採決をちらつかせ、人々に「自分が考えたり行動しても無駄だ」と思わせる。そうやって人々に無力感をうえつけていく政治のあり方に、これ以上、引きずられていきたくはありません。この、安保関連法案の成立をやめさせるだけでなく、自分が生きていきたい社会のあり方について、思い切り語り合える空間を、それぞれの手で作っていくときが、来たのだと思います。



そう考えて、わたしは、この会をたった一人から立ち上げました。子どもと生活することで見えてきた、どうしてもゆずれない思いを表現したいのです。子どもは、人間が生まれてくるということの、計り知れない「不思議」を教えてくれます。その命が、誰かにとっての所有物のように扱われたあげく、むごたらしく使い捨てにされる。その、最たる例が、戦争です。これだけは、なんとしてでも止めたいのです。人間が、生まれ、生きるということの「かけがえのなさ」を、わたしは他の誰にも奪われたくありません。そして、この思いをもっているのは、わたしだけではありません。サイトに寄せられた2000件を超えるメッセージには、「殺し、殺されるために、この子を産んだのではない!」という声があふれています。誰かの「駒」になることでしか、人間が生きることを許されないような社会のあり方は、もう、終わりにすべきだとわたしは思います。わたしは、あきらめません。あきらめられません。

この思いを胸に抱えたママたち、仲間たちが、活動の一致点を探して見つけ出したのが、「だれのこどもも、ころさせない」という合言葉です。殺されても仕方のない子どもなんて、どこにもいません。また、「殺す」ということを、引き受けなければならない子どもも、いてはならないはずです。そして、すべての兵士は、誰かにとっての子どもでもあります。「だれのこどもも、ころさせない」。このひとつの合言葉で、全国各地、さらには世界の人々と、手を取り合えるとわたしは信じています。
子育てに追われ、なかなか家を出ることもできなかったママたちが、すでに社会に向けてメッセージを発信しはじめています。「だれのこどもも、ころさせない」と。「7・26戦争立法反対!ママの渋谷ジャック!」では、この声を、首都の、ど真ん中で響かせます。「どこかの偉い人」ではなくて、子どもと日々泣いたり笑ったりするママが、街宣車の上に登り、群衆に向かってスピーチをする。誰のものでもない、一人ひとりの言葉で。こういう時代が、ついに、やってきたのだと思います。歴史の分れ目を、こちら側へと引き寄せましょう。7月26日は、ガーベラの花を手に、渋谷でお待ちしています。ガーベラの花言葉は「希望・常に前進」です。
ご静聴、ありがとうございました。

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安保法案に反対 学者など150人が訴え
2015年7月20日 19時05分  NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/ne…/html/20150720/k10010160081000.html

安全保障関連法案に反対する学者およそ150人が、20日、都内で会見を開き、「法案は憲法9条に違反し、衆議院で採決を強行したことは国民世論を無視するものだ」などと訴えました。


会見を開いたのは、安全保障関連法案に反対するさまざまな分野の学者や研究者、およそ150人です。

会見ではまず、日本学術会議の前の会長で専修大学の廣渡清吾教授が、「総理自身が、法案に対する国民の理解が進んでいないことを認めた直後に、衆議院で採決を強行したことは、国民世論を無視するものだ」などとする抗議声明を読み上げました。

続いて、ノーベル物理学賞を受賞した京都大学の益川敏英名誉教授が、「憲法9条は歴然と生き続けているのに、それをなし崩しにしようとしている。政権が有事だと思ったら戦争ができるというのはとんでもない話で、立憲主義に真っ向から敵対する」と批判しました。

さらに、東京大学の上野千鶴子名誉教授も、「ふだん政治的な行動をしない研究者が、やむにやまれぬ思いで集まったのは画期的なことだ。手遅れにならないうちに行動を起こさなければならない」と述べました。

この学者たちのグループに賛意を表明した学者や研究者は1万人以上に上っているということで、グループは、今月31日には国会前で抗議活動を行うことにしています。

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ママの会をたちあげた西郷さん。本当に素晴らしい女性です。
なんと我が子と同い年
3人の子どもを育てながら京大で美術の研究をされています
京都で「原発いらない子どもデモ」を主催されていたので
私たち大分の「おかあちゃんパレード」とも情報交換など
交流も持っていた方なのです

それだけに この呼びかけが全国に一気に広がって
各県のママの会も次々と生まれていることが
うれしくてたまりません

さっそく大分も知り合いの若いママが立ち上げてくれました

一人の力は小さいけれど
でも始まりは一人から

一人ひとりが生み出す可能性やパワーって
すごいな と感動と勇気をもらいます

子どもたちを前にして 母たちはあきらめるわけにはいきません!!