さて、今回のひとり旅の3つめの目的地

夜の八文字屋へ

 

ほんやら洞の甲斐さんに会いたくて・・・



京都の“ほんやら洞”・・・・学生の頃から 憧れの場所でした

けっしてきれいとは言えない喫茶店ですが

2階は壁一面が本棚で図書館のように本に囲まれて・・たしか大きな丸いテーブルがあり、

知的好奇心をくすぐられながらも落ち着ける空間という記憶

かなり記憶もあいまいな程遠い昔 40年も前の残像です

 

同志社大の隣にあり、学生たちや若者、知識人たちの交流や情報発信の拠点のような

青い熱気と活気に満ち 刺激にあふれる 私にとってはとても魅力的な場所でしたので

 

その後の“ほんやら洞”のことは何も知らないまま

当時の“憧れの場所”は色褪せることなく 私の心の中にずーっと生き続けていました

 

機会があれば訪ねてみたいなとも思っていましたが、 当時のイメージとはすでに違っているかもしれないな と思いつつ・・・記憶の中の“ほんやら洞”は美化されていったかもしれないけれど やはり私の中で消えない心惹かれる場所でした

 

 
人の縁とは不思議なものです

記憶の中だけで生き続けていた 遠い存在の“ほんやら洞”との40年の時を経た再会に

思いはどこかで繋がっていくものなのかもと 縁(えにし)の不思議を感じます

 

昨年の秋頃 私のブログを知人がフェイスブックでシェアした記事を

どなたかが又シェアしてくれていて えー?と多少不審に思いながら

甲斐さん?その人をたどってみると・・・あれ?カバー写真はどこか見覚えのある感じ・・

え?まさか・・ほんやら洞では?

 

ひょえー なんと! ほんやら洞店主だー!!

 

この驚き わかります?

 

驚きと嬉しさで 思わずお礼のメッセージを送ると

すぐに返信をくださり 甲斐さんはなんと大分出身とのこと

自分の海外での写真展のことを 数日前 大分合同新聞が大きく紹介してくれたことや

4月から自分の連載の予定との話も伝えてくれた

 

へえー 連載を楽しみにしようと思っていたところ


 

なんと ・・その年があけ 今年の1月の15日にほんやら洞は全焼してしまった

放火だったらしい

 

あの2階のおびただしい数の蔵書 甲斐さんの写真 ネガ

歴史を刻んだ貴重なものたちが全て焼けて消えてしまった

 

私でさえ あまりにショックで 気持ちの整理がつかないほどだったけど

 

甲斐さんご本人の喪失感 悲しみはどれほど深いことか

 

しかも その後追い打ちをかけるように 足の怪我から

人食いバクテリアに襲われ 一時は足の切断を告げられる事態に・・

 

 今はその大怪我も乗り越えられて 元気に回復されておられますが

 

数々のトラブルの連続に 人生の窮地のご様子で心配していました

 

ということで・・・

 

今回 直接お会いしてゆっくりお話することができ良かったです

 

「追憶のほんやら洞」をいただいて帰りました

 

多くの人々に愛されていたほんやら洞の存在と時代の変遷を自分なりに整理して考えてみようと思います 

  

時代を世の中を語り合い人々が集い情報発信をしていくほんやら洞のような場所が各地にもっともっと生まれていくといいいなあ 

これからは どんな新しいスタイルのものが生まれてくるのだろう?

 

私たちの「ハハパレカフェ」もそのような一つの形にしていけたらいいなあ~