アンチョビの想い出 | かふぇ・あんちょび

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このカフェ、未だ現世には存在しません。

現在自家焙煎珈琲工房(ただの家の納屋ですけど…)を営む元バックパッカーが、

その実現化に向け、愛するネコの想い出と共に奔走中です。

アンチョビは、私が働いていた喫茶店の裏の、ゴミ箱に捨てられていました。
レジ袋に入れられていたその仔猫は、ガリガリで、いっぱいの目ヤニで両目が開かず、ただ、かすかな体温だけが残っている状態でした。
生ゴミを捨てに来た私が、店のものでない小さなその袋を見つけ、これじゃ契約のゴミ業者が持っていってくれないじゃないか・・・と、おっかなびっくりそのグニャリと生暖かい袋を開けたのでした。
連れて行った獣医さんの、保険の利かない代金がバカ高かったのを憶えています。
そしてその灰色の仔猫は、私がまかないで一番好きだったパスタの具材からアンチョビと名づけられ、私のはじめてのネコとなりました。

アンチョビはその五年後に死ぬのですが、心臓に先天的に欠陥があって、看取ってくれた獣医さんからは「なぜこの状態で5年も生きていられたのかわからない」と言われました。
ひょっとすると、どこかの飼い猫の子どもとして生まれたものの、母親ネコはその障害を本能的に知り育児を放棄したため、飼い主があの店に捨てに来たのかなあとも想像しています。

アンチョビは、ヒトを信じないネコでした。

私は当時小さな借家でネコとふたりの生活をしていて、アンチョビは私が仕事に出かける時に一緒に外に出て、帰ってくるまで外で過ごす、という「半ノラねこ」の生活でした。
そして、わたしが友だちやその頃付き合っていた女性を家に連れてくると、嫌そうな顔をしてゴソゴソとベッドの下にもぐるか窓から外に出るかして、決して私以外に愛想を振りまくことがありませんでした。
特に当時のカノジョとの折り合いが悪く、カノジョもそのうちに一向になつかないアンチョビのことを嫌うようになりました。

家の近所のネコ社会でも、アンチョビの序列は最下層のようで、私が知る限りではトモダチもおらず、ケンカではいつも負けていました。
隣の家の飼い猫の、ちっちゃい毛長ネコの「リリィちゃん」にさえ、窓越しに「フウ~ッ!」と脅されていたのを思い出します。

母親やきょうだいを知らないために「アマ噛み」の加減も知らず、私とじゃれて遊んでいるとそのうちいつもすごいチカラで噛んだり引っ掻いたりするので、私はしょっちゅう手に流血モノの怪我をしていました。

でも、私にだけはココロを開き同居人として認めてくれて、帰宅した時に「アンチョビさ~ん!」と呼ぶと、どこからともなく全速力で駆けてくるあの瞬間、あの毎日の再会の瞬間が、大好きだったなあ・・・。
臨終の直前、麻酔で腰が抜けおしっこを垂らしながら、舌を長くだらんと出しながら、横でボロボロ泣いている私の元へ1センチでも近づこうと這いずって来る最期の姿が忘れられません。

私のことを掛け値なしに一番愛してくれたのは、両親でも今までに付き合った女性の誰でもなく、あのネコのアンチョビだったと確信しています。


今年のアンチョビの命日には、私は私自身の孤独と悩みとを抱えて、海岸線を一日中歩きました。
アンチョビの事を偲びながら歩いたわけではありませんでしたが、なんというか、アンチョビと私は、同じなんじゃないかと思いました。
親にも飼い主にも捨てられた愛を知らぬアンチョビが時折見せていた、
「ワタシは、ここにいてもいいの?」
とでもいうようなその表情を、今でも私がしているんじゃないか…と思うのです。
そして、毎年アンチョビの命日が過ぎると、もの悲しい秋がやって来ます。

アンチョビさん、そっちでは元気にやってますか?
ぼくは、ここにいるよ。