最近、涙腺が緩くなって仕方がない私です。

素晴らしい映像を
出雲大社特別奉納上映という形で
観させていただきました。


この映像はイメージではなく
全て事実に基づき作られています。





本当に素晴らしいから
東京と出雲で上映会を考えています。

こちらを制作なさったご夫婦も
素晴らしいお二人でした。


橋本昌彦さん
橋本さやかさん

↓↓↓この映像を見た時
「思い出す」って言葉がぴったりで
私はこんなにも私を愛しているのだと
感動に魂が震えました。



そして、闘病中に体験した
私が肉体を手放して帰っていく場所。


この映像がそこに
そっくりだと思った。



私は、肉体を手放したら
ここに「吸収される」という体験をしたのだけど


吸収されると「個」という感覚を
感じることができなくなって


私たちが当たり前に感じている
この「個で在る」という意識が無くなっていくの。


「個」という感覚。
これは肉体を持って生きている間だけの
特別な意識なんだよね。



「個で在ること」とは
得難い貴重な体験なのです。



私たちは肉体を持って
「個」を体験しているだけで
完璧に完成されているんです。


完璧、完全という愛の元で
「有限」という世界をどんな風に体験するかを
決めて来ている。



ほとんどの人が5歳くらいまでの間に
記憶喪失になったみたいに
「私」がわからなくなっていくけど


それは
この世界で物語を楽しむね❣️って
自分で設定して来たのだよね。



そして、その物語の全てが
愛の元に展開していた。



そして、今、思い出す時が来たのだよね。



この世界に
どんなリアリティを感じて生きているのか?は


自分がどんな意識を採用しているか?によるから


出来事が先ではなということは
もう、法則でしかない。



ネガティブな物語に入っているとき
私たちはまるで
この世の終わりのような意識になるけど


「本来の自分」からすると


ネガティヴもポジティブも体験のひとつでしかない


そんな意識が採用されていきます。



遊園地でお化け屋敷で怖い思いをするのも
ジェットコースターにのってスリルを味わうのも
自分で選んで体験しているし



誰も「そんな思いしちゃダメ」なんて言わないし
むしろ、「楽しかった?」って聞くはずよね?



だから、どんな物語でも夢中で生きることは
素晴らしいことだと思うのです。



でも、もし、自分の中に愛を感じられていないことで
私は本当はこんなもんじゃないんじゃないか?と
少しでも感じられるなら


他にもたくさんの物語が選べること
知っててほしいと思う。



そして、魂のプランがあることも。




誰もが自分の可能性を最大化しながら
魂のプランを生きていけること。



もう、無理だ

自分にはできない


そんな風に思って
既に体験済みの世界に戻っていくのは
ある意味で安心かもしれない。



恐れに目を背けて物語の中で
想定の範囲内(過去の記憶)を生きるのは
例え、ネガティブな物語が展開されても
それさえも「想定内」だから。



可能性とは想定を超えていくことだから
怖いよね。


私も未だに
ビッグウェーブが来たかのように
波に乗る瞬間は怖い。


でも、乗ってしまえば
こんなに素晴らしい自分を
知ることができるんだ!って
毎回、そうなっていく。


今こそ、
生まれてきたときの記憶を思い出そう。



何をやりにきたの?
何を体験しにきたの?
どこまで意識を広げて生きていくの?



本来の私たちは
いつでも繋がる準備が出来ています❤️



あと私たちがそこに自分を委ねていくだけ。


自分を信じることは条件ではないから。