私がブログを出したら、すぐに池田信夫氏が、再反論を掲載された。無視されなかったことを、再度、感謝したい。だが、私のツイッターに、池田氏から、

コメント欄にも書いたけど、私はあなたの本は読んでませんよ。読む価値がないから。 RT @anmintei: 「読む必要がない」というのだかから、読まないで反論するのだろう。 http://bit.ly/ymIkGh

というツイートが来たので、驚愕してしまった。

やはり、読んでいないのである。回答を見るかぎり、私のブログの記事の方も、きちんと読んでおられないことは確実であろう。いくらなんでも早すぎである。私が彼の反論に回答するために、かなりの時間を掛けて文章を分析したのであるから、そのくらいの手間は掛けて欲しいものである。

私が何を書いても、お読み頂けないのであれば、議論にはならない。それは単なる「言い争い」である。私は、議論を通じて学びたいのであって、言い争いをしたいのではない。

中川恵一氏の発言であるが、確か東大のシンポでは、そのようには断言されておらなかったと思うので、そう書いたのだが、記録があるかどうか、調べてみたい。池田氏の指摘する映像は知らなかったので、勉強させていただきたいと思う。貴重な資料を教えていただいて、感謝している。

それから、本を読んでいただければ明らかなのだが、私は池田氏を「推進派」とレッテル貼りしているのではない。私が推進派だからといって池田氏を攻撃する、などということをしているのではないことは、たとえば「脱原発派」を自認する香山リカ氏の言説を取り上げていることで自明であろう。あるいは逆に、かつてブログでソフトバンク・モバイルの先の副将軍・松本徹三御老公のアゴラの記事を、「東大話法フリー」と認定したことがあるが、彼は原発を維持するべきでだとお考えのはずで、放射線の危険性を過剰に言うのは「苦々しく思っている」とツイートしておられた。(念のために言うと、私は京大出身で、松本氏も京大出身なので、身びいきして「東大話法」フリーを認定しているのではない。京大出身者でも東大話法の話者はいくらでもいる。)

私は、その人がどういう「立場」だから、ということに従って、分類して対応を決めるというようなことをやめよう、と言っているのである。私が判断の基準にすべきだと考えるのは、言葉の使い方である。というのも、奇妙な言葉の使い方をする人と議論しても、新しい考えなどが出てこないので、意味がないからである。正しく言葉を使い、名を歪めない人であれば、データや論理や理念を以て議論することで、新しい道を見出すことも可能となる。